KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

意見を聞かないこと

 久しぶりに教授会に出席した。なんでも、教授会の出席率が悪いのでこれから欠席者の名前を議事録に載せるというのだ。みせしめである。教育学部の先生が考えそうな効果の薄い対処法である。私だったら、一回サボるごとに一定額を給与から天引きしておいて、その金は教室設備の充実などに充てることを考える。どうしてもやらなくてはならない仕事を抱えているときに、教授会に3時間をとられるのはつらいという場合がある。そういうときは給料が少し減ってもいいから、他の仕事をさせて欲しいということが現実にある。しかもその減った分は大学環境の整備に使われるのだから気分は悪くないわけだ。みせしめよりも、もっと効果的な方法がある。

 教授会の議題のひとつは、各専攻の部屋の割り当ての再配置であった。よくあることである。日本の大学では、専攻のスクラップ・アンド・ビルドはアメリカほど劇的ではない。一度作ってしまったものはなかなかなくならない。その一方で新しい専攻ができるわけだから、建物が増えなければ、当然部屋は足りなくなる。厳しい財政事情の折から、新しいビルが簡単に建つわけでもない。教員と学生の数が減った専攻は、確保してきた部屋を放出しなければならないわけだが、領土問題と同じで、「この部屋は渡すわけにはいかない」という姿勢である。たとえほとんど使われていない部屋であっても。

 部屋の調整を請け負った人は大変な苦労をした。とはいえ、出てきた最終案は、気のいい先生が部屋を融通したか、教室をつぶしてなんとかしていこうというものだ。声を荒げて「渡さない」と石になったところは痛みを共有していない。ある意味、野蛮な世界である。

 そんな中で、ある先生が発言した。

 「部屋を再配置するには、意見を聞かないことである。意見を聞けば、うちは部屋が足りないくらいで、とても放出はできない、というに決まっているから。意見を聞かずに、定められた数字を基準にやっていけばいいのだ。公平にやるとはそういうことだ。」

 私は心の中で「その通りだ」と思った。調整役の先生に全権を委任して、その決定にしたがうべきなのだ。しかし同時に「それではたちゆかないのが日本の社会でもあるよな」と思う。でも、このセリフを「マイブック」にメモできただけでも教授会に出席した意味があった。