KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

エスペラントはうまくいかないものの代表?

岩波の広報誌『図書』の3月号に、河合雅雄の「苦き夢みし」というエッセイが載っている。その冒頭の話。21世紀にはいったということだが、21世紀というのはキリスト教暦であって、それ以外の宗教では関係がない、という導入。日本では元号が使われているが、それは国際的に通じないから西暦に統一せよという声が高い。と書いたところで、

エスペラントやローマ字論がうまくいかないのに似たことになるのではないか」と。

うーむ。こういうたとえでエスペラントを持ち出すのは、明白な間違いなのだよなあ。なまじっか、学者にこうした間違った知識(というか思いこみ)を持っている人が多い。

ひとつは、エスペラントは世界の言語を統一しようとするものではない、ということ。あくまでも、補助として利用する。ひいては、それが絶滅しつつあるたくさんのマイナーな言語を救うことにもなる。

ふたつめは、人工国際語としては、エスペラントは、それ以外のどの国際語案よりも成功しているということ。百年以上も途絶えることはないし、国際的な組織もある。文学も翻訳もある。雑誌も出されている。エスペラント放送もある。エスペラントを話せる人はたくさんいる。それを失敗の代表例みたいに取り上げられるのでは、ザメンホフさん(創案者)も泣いていることでしょう。