KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

体験第一主義

看護学校での心理学の授業で寝る人が目立った。3人くらいなんだけど、全体が25,6人なのでよく見えてしまうのだ。教室もちょうどのサイズだし。

これはめげるね。なんか、めげることが近頃多いなあ。ああ、私はめげやすい人だったのだ、と気がついたよ。

原因はいくつか考えられる。ひとつは、先週までの性格テストから、社会心理学系の話題に移ったこと。大学だと、こちらの方が面白いという学生もいるんだけどね。やはり聞く人に合わせてオーダーメイドじゃなくちゃいけないのかなあ、などと考える。常に、こちらが教えたいことと、相手が聞きたいことのネゴシエーションなのだな。

看護統計学というのがあるくらいなので、看護心理学というべきものがあってしかるべきだろう。たとえば、終末期の人への接し方とか、医療過誤を防ぐための方法とか(これは応用認知心理学として成立しそうだね)。しかし、そうなるとすでに私の手にはおえない、というのが正直なところだ。(え? 勉強しろって?)

授業をして、そのあとに質問を毎回書いてもらっている。それを読んでなんとなく感じることがある。

授業を受けて、その内容を自分のことにあてはめて考えることは大切だ。そうすることで記憶の定着が良くなるという知見もある。だけど、いったんは突き放して第三者の目で論理構成していくという訓練も大切だ。しかし、意外に、後者は、学生にとって難しいのかもしれない。抽象レベルの思考。理論やモデルをそのレベルで扱うということが難しいようだ。そのために、話した内容をすべて自分のプライベートレベルに持っていってしまう。代表的な反応は「先生はこういう理論を説明したけれど、私の体験ではそういうことはないです」というような。

体験第一主義。それもいいだろう。自分の体験は何より増して信頼できる。しかし、「自分の体験こそがすべてだ」と考えてしまうのは間違いだ。なぜなら、そうすると他人の体験は不可知になるから。自分の体験と他人の体験を持ち寄って考えることが大切なのだ。持ち寄って考えた先に理論が見えてくる。そんなふうに思うんだけど。