入試ミスの新聞報道は、地方版にコンスタントに出ている。私にとって、もっとも身近なところで起こったことだから、注目せざるをえない。
今回のミスは「初歩的な連絡ミス」とされている。なぜ初歩的なミスが起こってしまったかを追究するのは大切だと思うが、おそらくそれは明確には出てこない。入試を担当した人への過重な業務ということが背景にあって、そうした条件下では一定の確率で起こりうるミスだと見るのが適切だろう。
赤尾さんのわかば日記(6/18)は、その点をはっきり言っている。つまり、事務官と教官の定員削減が行われる中で、ますます多忙にならざるをえないということが背景にある。
たとえば、北日本新聞は次のように書いている。
変更を伝えなかったことが、事務官の責任か教官の責任になるのかもあいまいだ。責任の所在が明確でない中、年々多様化する入試事務を教官が「研究の片手間」に行っていた可能性もある。
教官が「研究の片手間」にやっていたという部分が気になる。「片手間」とはバイアスのかかった言葉遣いだ。もし、研究が教官の本務であれば、それ以外はすべて片手間にやることになるのは、論理的帰結にすぎない。最近は、何が大学教官の本務であるかということすら、わからなくなってきた。それほど、やるべきことが多岐に渡っている。
教官がなすべき仕事は、リストアップすれば、10や20では収まらない。もちろん、それは一般的な会社員と同じだ。リストされた仕事すべてを片手間に(つまりマルチタスクで)、しかもミスなくやるというのは仕事を持っている人の共通認識ではないか。しかし、マルチタスクをするにも限界がある。そこに「初歩的なミス」(つまりヒューマンエラー)が入り込む余地ができる。
むしろ、大学教官にあっては「研究*が*片手間」であることの現実、そしてそのことが社会に対して意味することを、新聞は書いてほしいと思ったりする。