OS Xサーバをいろいろいじりながら、OS Xもいじっているわけだ。
そのOSが美しいことを先日書いたが、たとえば、スクリーンセーバーの美しいこと。それは芸術の域に達しているのではないかと思うほどで。この細部にかけるリソースの大きさがアップルらしいといえる。細部に凝るんだよね。もっとほかに手をかけるところがあるんじゃないか、とはらはらさせられるくらい。
OS Xをいじっていると、だんだん情が移ってくる(というのも変な表現だが)。それくらい妙な色気がある。大きめの、ちょっとリアルで、非常に美しいアイコンも、インタフェース研究者から見れば、そんなにリソースをかけるほど使い勝手はよくなっていないのだろう。でも、「ああ、こうしたかったんだなあ」と納得させるものが確かにある。ドナルド・ノーマン先生ならばどう評価しているだろうか。
使い勝手よりも「美しくあること」を優先しているように感じた。それがいいわるいというのではなく、もうこの路線で突き進むのだという覚悟のようなもの。単純化して言えば、システムは限りなく堅牢に、そして、インタフェースは限りなく美しく、というような姿勢。
まだOS Xでは、私が使っているソフトがそろっていないので、自分用のマシンは当分9.1で行こうと考えていた。しかし、それもぐらついてきた。OS Xのクラシック環境での実行が快適に使えるものなのかどうか試してみようかなという気持ちになっている。