KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

マニュアル車とオートマ車

 さっそくVAIOをてなずけるために、いじり始める。マック使いとしては、どうしてもメニューバー(ウィンドウズではタスクバー)が画面の一番下にあるのがしっくりこないので、それを上に持っていく。派手な背景もやめて、薄茶のものにする。デスクトップににぎにぎしく並んでいるプロバイダ加入のお誘いアイコンを次々とごみ箱に捨てていく。これでかなりシンプルなものになる。さらに、デスクトップのカスタマイズを使って、ウィンドウの色合いを渋いものに変える。

 こんな具合で見栄えを自分好みにすることに時間を費やす。こういう儀式をしなければ落ち着いて使えるようにならない。落ち着いて仕事ができるようにならなければ、自分の方がパソコンに奉仕しているようで、ひどく疲れる。道具としてのパソコンは「透明な存在」であってほしい。ぎらぎらしたデスクトップはその意味で失格だ。

 そんなことをしながら、PPP接続をしてメールをチェックすることと、Webページをブラウズすることができるようになった。とりあえず最低限の仕事はできる。あとはWebページの作成とFTPだ。ページ作成にはFrontPageというソフトがついているが、それを使うつもりはなく、ホームページProのウィンドウズ版があればそれを買うことになるだろう。なければPageMill。

 しかし、これを機会にウィンドウズ使いにもなってみるかという気もしたのだが、今日一日でその考えは捨てた。ウィンドウズとマックOSを交互に使うことは、マニュアル車オートマ車を交互に運転するようなものだ。やってできないことはないが、疲れるし、得なことはない。その分の自分の能力資源は別のことに使いたい。もう若くはないのだ。あくまでもウィンドウズは出張などで、それしか使えないときに限って使うことにしよう。幸いiMacの好調でアップルがすぐにつぶれることもなさそうなので、最後の一人のユーザになるまでマックを使おうと改めて誓う(←誓ってどうする?)。ウィンドウズをいじってみてわかったことは、すでにマック的設計思想が自分の脳の一部に近いものになってしまっているということだった。