KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

アドラー心理学基礎講座理論編@長岡(後半)

7月28,29日に引き続き、長岡に来ている。アドラー心理学基礎講座(理論編)という講座に参加している。講師は野田俊作さん(と呼ぶのも他人行儀でしっくりしないのだけれど)。

6時間ずつ4日間の全24時間の講義と質疑を受けると、日本アドラー心理学学会認定による修了証がもらえるのである。こう書くと、すごい偉そうなものに聞こえるな。これはぜひとも額にいれて飾っておくことにしよう。

実によく勉強した。とったノートは40ページ以上。よし、これで、来年度の「心理学」の授業の中できちんとしたアドラー心理学を講じることができる、はずである。カウンセラーの臨床経験はないけれども、まずは理論について話すことができるのではないかと思う。深く学ぶのに一番いい方法は、ひとに教えることだというし。

臨床心理学についてあれこれ言えるような自分ではないけれども、ひとつ思うことは、最初にパラダイム(公理系、基本前提)のはっきりしたものをがっちりとやるのがいいのではないかということだ。

パラダイムとは、たとえばアドラー心理学では、「個人の主体性、目的論、全体論、対人関係論、認知論」というようなことだ。そうすると、アドラー心理学以外の流派の位置づけが自然にわかってきて、見当がつけやすい。パラダイムというのはめがねのようなもので、絶対的なものでもないし、どれが正しいというものでもない。ただ、有用かどうかによって掛け替えることができるのだから、自分で選べばいいのである。

その一方で、臨床の中で培われてきた技術は、流派を越えて流通可能なのだから(そうでなければ技術とは呼べない)、自分の採用するパラダイム(と思想)の中で応用していけばいい。この技術としては、まだ読み始めたばかりだけれども、ミルトン・エリクソンMRI、短期療法の技法が抜群に面白い。一般的な心理学の教科書では、ロジャースの来談者中心療法や、エリスの論理療法などが取り上げられるけれども、そうした「まっとうな」技術とはまた別世界の技術がここにある(まっとうじゃないという意味ではなく、もう一つ上のというような意味ね)。

この講座でひとつ学んだこと。

ものすごくおおざっぱにいってしまえば、個々の科学は、パラダイム(公理系)と技術と思想からなっている。科学に思想がはいっているのはおかしいのではないかと思われるかもしれないが、科学がショーケースにはいったままさわれないのであれば別だが、そうではなく日々運用されるものである限り、それがどのような思想を背景にもっているかということが決定的に重要になる。

そしてアドラー心理学は、これこれこのような思想を持つ社会改革運動のひとつなのだと言い切った野田さんに強烈な印象を受けた私であった。