KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

視覚型、聴覚型、触覚型

野田さんの講義の中で、ひょいとでた話題。人の記憶の仕方や表現の仕方に三つのパターンがあるようだ。それは、視覚型、聴覚型、触覚型だ。

この三つのパターンは、たとえば、話をするときにこんな特徴になって現れる。視覚型は、イメージ優位なので、ひとつのマップを持って話す。ともすれば、聞いている方にとっては話が飛んでわからないということもある。それに対して、聴覚型は、ひとつの物語のように、するするとシリアルに出てくる。触覚型は、「わぁー」とか「きゃー」とか「すごーい」とか言うそうな。

野田さんは聴覚型だ。講義の話をテープにとって、そのまま文字起こしをすれば本の原稿になる、という。私もそう思う。実際に講演テープから何冊も本になっているし。

それはちょっとうらやましい技能なので、できればまねしたいと思うけれども、私には無理かもしれない。というのは、自分は視覚型だと思うからだ。いつでも何か全体のイメージみたいものがあって、ここをちょっと話したら、ひょいと飛んで、別のところの話題をしている。かと思えば、元のところに戻ったり。

ああ、だから私は講演の時にスライドを使うのだな。スライドを使うのは、話をシリアルにしたいという努力なのだ。そうでなければ、横道にどんどんそれていってしまって、元に戻ることができなくなるから。スライドも、できるだけビジュアルな絵や図をいれたいと思う。

しかし、だからといって視覚型がビジュアルについて凝るということはない。むしろ逆に、聴覚型の人の方がビジュアルにはうるさいのではないか。というのは、野田さんはとても美しい写真を撮るから。私は写真に凝るということはなく、安物のデジカメで撮っているだけだ。美しい写真を撮るのではなく、写真に何が写っているかがわかればそれでいいと思っているようだ。