KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ポストモダンのアドラー心理学

第18回日本アドラー心理学会総会@徳島の2日目。

午前は、理論、教育、医療、家庭、企業などにわかれて分科会が開かれた。実習を交えたワークショップである。私は理論の分科会に参加した。

理論分科会では、エリクソン催眠の実演を交えて、アドラー心理学ポストモダン心理学として拡張するとどうなるかというものだった。野田俊作さんの導入レクチャーと実演を見たあと、フリーの討論に進む。

まず、ポストモダンの考え方について、簡単に次のようにまとめておく:

  • 構造主義→ 概念にどんな名前を付けるかは恣意的だ。しかし名前と概念が一度対応するとその関係は不変である。
  • ポスト構造主義→ 名前と概念の対応は「文脈に依存して」変わる。
  • 社会構成主義→ 名前と概念の対応を決める文脈とは「文化」である。

アドラー心理学では、その人の信念体系(自己と世界に関する現実像と理想像)によってライフスタイルが決まっていると考える。古典的アドラー心理学では、ライフスタイルを診断してそれを変えていこうとすることによって治療をする。

しかしポストモダンアドラー心理学では、まず、信念体系がひとつであるとは考えない。つまり、人は複数の信念体系(これをペルソナと呼んでおく)を文脈によって使い分けていると考える。したがって、治療のためには、当面問題となっていることの解決に使えるようなペルソナを探そうということになる。そうしたペルソナは、たとえ今まで一度も現れたことがなくても、いつの間にかその人の中に育っている(と考える)。

こうした治療の中で、エリクソン催眠を利用することができる。トランス状態に導入しておいて、その中で役に立つペルソナを探せばいい。極言すれば、古典的アドラー心理学で自我といっていたものもひとつのペルソナであるから、それもまた催眠状態の中にあるものなのだ。瞑想するということもまた、別のペルソナにはいることだと言える。

さて、エリクソン催眠とアドラー心理学との関係はどうなのか。エリクソン催眠はひとつの技術として利用することができる。しかし、エリクソンアドラーのいう「共同体感覚」などは考慮に入れていない。エリクソン催眠をはじめとして、パワーを持った心理療法には(遺伝子操作などと同じように)一定の歯止めが必要だ。野田さんは「ポスト構造主義アナーキーだ」という。いくつものパラダイムが並立して、それぞれがお互いの対話を失って独善的になったときが怖いのだと、私も思う。