KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

コントロールされているのがイヤ

そう、私は何かにコントロールされているのがイヤなんだろうね。

たとえば、ケータイのメールは着信したとたんに持ち主にそのことを知らせる。そうなれば、とりあえず誰から来たメールなのかを確認するくらいのことはしてしまうわけだ。無視しようと思えばできないことはないけれども、かなりの忍耐力がいるのではないだろうか。

一方、インターネットのメールは、どこかのサーバの自分のエリアにメールが「静かに」蓄積されるだけだ。自分がインターネットにつないで、メールの有無を確認しない限り、でしゃばって「メールが届きました」という知らせを受けることはない。

つまり、コントロールする主体は自分の側にある。もちろん四六時中メールを確認しなければ落ち着かない(なんという逆説!)という人は多いし、自分もそうした人のうちの一人だが、それにしても、メールを確認する行為は自発的なものだ。つまり私がコントロールしている。

こうした意味で、ケータイのメールとインターネットのメールとは決定的に違っていると思う。

帰省中は、インターネットにつなげなかったので、メールをチェックしなかった。で、帰ってみると300通以上のメールがたまっている。それを整理するのはちょっと難儀なことだが、やっていればいつか終わる。しかし、もしこれらのメールが届くたびにケータイがブルブル震えたりしたら、ちょっとヤダなーという気がするのです。