KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

たとえ外してもシュートで終わる

「こうごくん、大学教員は、お座敷がかかるうちが華だよ。声がかかったら断ってはいけない」という尊敬する先輩のコトバをいまだに私は守り続けているのかもしれないね。

それは人間関係指向であるがゆえに断れないという私のキャラのせいもあるが、基本的には人前で話すのが好きということもあるのだろう。いや、本当に好きなのかな。お座敷がかかれば、少しはびっくりしたり、感心したりするようなことを話したいという気持ちはあるのだろうね。

でも、おしゃべりはあまり好きじゃないんだよ。なぜだろう。たぶん、それには終わりがないから。おしゃべりは自由連想法なのだから、終わりようがないんだ。ここで終わりにしようと言ったら、そこで終わる。そこにはなんら必然性がない。

一方、人前で話すときは、始めがあって、終わりがある。時間が決められている。だからストーリーを組み立てて時間内に終わらなければならない。そのためにはトピックを選んでいかなくてはならない。選択して、順番を決めて、パズルを解くような感覚がある。びしっと時間通りに話が完結したなら、それだけで私は満足してしまうようなところがある。そう私は形式主義なのかも。

もちろん大きなストーリーは依然として続いている。だけどひとつのトピックとしての話はそこで完結する。完結するからこそ、その次が始まるのだ。終わらなければ、始まらない。

たとえゴールを外しても、シュートで終わっておくのは大事なことだ。これは、サッカーだけに限らないよ。シュートというのは、つまり、「これが今の私の結論だ」ってこと。これが言えない人には勇気がないということだ。