- 作者: 大村はま,苅谷夏子,苅谷剛彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2003/03
- メディア: 新書
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子どもは優しくしてさえもらえば先生が好きなものですよ。……だから、子どもに好かれてるなんていって、ぼおっとしていては駄目ね。とにかく、教える技術、書くとか読むとか話すとかいったような、いわゆる国語の力が、どの教科の教師にも必要ですね。
テストはその判定のために出題されるのでなければならないということです。この病気を持っているのは、クラスの誰と誰だ、それを診断するために問題を作っている。それが教育のなかでの評価ということ。
子どもに考えさせるのがいいことは決まっています。そんなことはあたりまえです。でも、ヒントも出さないでいきなり、それはこの頭が考えるのよって言ってもねぇ。いい頭といわれたのがうんとうれしいから、子どもはにこにことするし、優しい先生ということになる。形の上では子どもにも考えさせたということにもなるかもしれない。でもほんとうは何も教えていない。よさそうな新しい先生のようでいて、しかしなにも教えていないでしょ。
自由研究と称してあなたの好きなことをやっていいと気軽に言って、教師はその子が何をやるべきか、何が好きか、何をやれそうか、そういうことについて考えない。そこのところが戦後の大失敗だったと思う。自由のはき違いというのが。
そうです。教師ですので、教えます。
以前、「大村はまの教え方は非常に教育工学的だ」と書いたことがあった。この本を読んで、次を確信するに至った。「大村はまは、日本の元祖インストラクショナルデザイナーである」。それはこの本を読めばわかる。それにしても、大村はま先生、1906年生まれというからもうすぐ100歳だ。そしてこのキレのいい対談!
本全体の中で、何度かはま先生が残念がっている(ように見える)ことは、はま流「単元学習」の継承者がでなかったことだ。人々は「すばらしい方法ですね」といいながらも、それを実行してくれなかった。本当にすばらしいと思うなら、なぜそれを自分自身でやってみないのか。マネといわれるのが嫌なのか。ばかな。基礎的な技術革新(と呼ぼう)をマネしなければ、進歩なんてあるものか。こんなだから教育に進歩がないのだ。ところで、単元学習はいまや教育現場では死語なのか。