KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ダニエル・グリーンバーグ『「超」教育』

「超」教育―21世紀教育改革の指針

「超」教育―21世紀教育改革の指針

同著者の『「超」学校』に続く本ですが、地元の新聞「ミドルセックス・ニューズ」誌に寄稿した教育評論集をまとめたものです。そのため、サドベリーバレー校については、直接の言及はあまりありません。そのかわり、グリーンバーグさんが教育についてどのような考えを持っているかがよくわかります。

たとえば、

結局のところ「コース」って何なのでしょう? この「問い」に対する「答え」はその呼び名の中にあります。それは、取捨選択した情報を流し込むための「指定された経路」です。経路を決めるのは教師です。その教師が教材、教授法、関連事項、進度を決めていく。しかし、教師が指示する経路しか存在しないわけではありません。道は無数にあります。教師が指し示す経路がベスト(最善)であるという保証はどこにもありません。だいいち「ベスト(最善)」の道という言い方からして間違っています。そもそも最初から存在しないのですから。個々に二人の人間がいて、別個に同じ課題に取り組むとします。その場合、二人がまったく同じ道を通ることはあり得ません。人間の精神は、それぞれ別個の者であるからです。

とか

本当に価値ある学びはプライベート(私的)なものです。生徒一人ひとりの心と魂のなかで起きるものです。子どもの心のなかで実際、何が起きているか知るには、パーソナル(人間的・個人的)な問い方をしなければなりません。そのためにはまず、そうした問いに答えが返ってくるような人間関係を結ばなければならない。子どもとパーソナルな絆で結ばれている両親、仲のいい友だち、子どもたちのことを本当に気にかけている教師たち---こういう人しか正しく問えないのです。

また、教育に対する政府の政策にも批判を向けます。

1980年代の教育的成果は、たとえば1930年代に比べ進歩したとでも言うのでしょうか? 百年前、1880年代と比べ、本当に進歩していますか?(中略)いまの生徒たちは一世代、あるいは二世代前の生徒たちと比べ、考える力がついているとでも言うのでしょうか? 道徳心については、どうでしょう? 彼らは公徳心を向上させていますか? 誇り、責任感、奉仕の心---このひとつでも、いまの世代の方が上でしょうか?

こうした問いの答えを、一般の市民は知っているのです。答えは、どれも「ノー」。何十年にもわたって、わたしたちの懐から何兆ドルというお金を搾り取って注ぎ込んだにもかかわらず、結果は「ノー」だったのです。専門家にカウンセラー、カリキュラムコーディネーターにスーパーバイザー、副校長に補助教員---これだけの大軍団を投入しても、結局は無駄でした。カリキュラムの再編だの、新しい教育原理の導入だの、ニューメディア教育だの、鳴り物入りで取り組んだにもかかわらず、何の進歩もなかった。

終章の「追記---サドベリー・バレーからの眺め」では重要な考え方が示されています。サドベリーバレー校の運営は、つまるところ、個人のニーズ(行き過ぎればアナーキーになる)と社会のニーズ(行き過ぎれば権威主義になる)をいかにバランスさせるかという点にあり、その二つが一致するためには「平和と調和と相互の尊敬のなかで、自由なる人間として共に生き、自ら治める環境」が必要だということです。そしてそれはポスト産業社会における優れた学校モデルの一つだと主張しています。