- 作者: ダニエルヤンケロビッチ,Daniel Yankelovich,山口峻宏
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2001/04
- メディア: 単行本
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「対話はいい関係をつくるプロセス」でもある。相手の話を共感をもって聞き、そのかわり自分の話もきちんと聞いてもらう。この一見単純な行為により、人間は自分の持つ狭苦しい壁を突き破るのだ。
たとえば、陪審審議、外交交渉、心理療法、ワークショップなどを考えてみてほしい。これらは、ある目的のための「特殊な会話」といえるだろう。
- 1 対等か?
- 2 共感をもって聞いているか?
- 3 批判的にならずに、心の底にある思いこみを明らかにしているか?
自分の考えを自分で、「誤った認識」とか「偏見」と呼ぶのはかまわない。自己批判すれば自身は名誉と自信を保つことができる。しかし、他人の考え方を批判してはいけない。
どのフォーカスグループでも、いったん固定観念がこわれると、参加者は他人の話にリラックスして耳を傾けるようになる。そして他人の意見を共感をもって聞いていることを自覚すると、空気が変わってくる。参加者は、自分の立場を弁護する必要がなくなったと感じて、他人の見解を受け入れはじめ、対話がスタートするのだ。しかし対話に必要な大きいエネルギーと集中力が衰えると、ディスカッションに逆もどりしてしまう。
「私はこう思うのだが……」という発言は、それ自体は単なる個人的な見解に過ぎない。しかしいったん対話が始まって、みんなが影響し合って自分の見解を変えていくと、それぞれの「私が思うこと」は他人の意見を反映して鍛えられた豊かなものになる。「私が思うこと」は、ばらばらな個人的な見解の寄せ集め以上のなにかになるのだ。さまざまな見解と経験によって検証され、問題点が明らかになる。これが「代表的思考」のプロセスだ。
「事実と価値の二分法」の影響は、善かれ悪しかれ、大きなものだった。事実を価値観や感情と切り離したことにより、問題に対する技術的解決法を見いだしやすくなったが、究極の目標や人々に共通の価値観は見出しにくくなってしまったのである。結果として、われわれはテクノロジーの巨人となり、人間関係は矮小化されつつある。このまま行くと、肝を潰すようなテクノロジーの脅威が氾濫するだろうし、同様に、互いの尊敬や信頼、配慮や善意、コミュニティや愛や気づかいという社会的美点が徐々にそこなわれていくだろう。