KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

内容はどうであれ、書けばページが埋まっていく

タイプするよりも手書きすることで学習に効果があることがデータとして出てきている。手を動かすこと、それによって紙の上に何らかの文字とか絵とかが痕跡として残ること。その何かを「やった感」が重要なのかもしれない。

こうしてブログの文章を毎日書いていても、それは積み上がることは、ない。少なくとも物理的には。デジタルデータとしては、少しずつ蓄積されているのだけれども、それを厚みとしては感じない。ちなみに、このブログは1996年のものから残っている。右の「カレンダー」というところから、任意の年月の記事を読むことができる。だけど、それは厚みとしては感じられないのだ。

手書きの日誌は、依然続けている。長く手書きを続けていると、こんな効果がある。

  • 書いている字が安定してくる
  • 速く書けるようになってくる

毎日1、2ページは書くので、書いている字が安定してくる。それと同時に速く書けるようになる。これは実感としてあるのだが、字を書くのが明らかに速くなっている。これは、書いている字の形が安定してくることによる。けっして丁寧に書いているわけではないのだが、日本語の筆記体のような形で安定してくる。そうすると速く書けるようになる。

速く書けることというのは、意外に重要なことだ。特にメモを取るときに、同じ時間でより多くの字を書けると明らかに有利だ。もたもたと字を書いているとその間に内容を忘れてしまう。速く書くことは必要だ。

ブログをタイプしていても、実はあまり「やった感」がない。しかし、手書きで日誌を書いていると、何かを「生産した感じ」がある。内容はどうであれ、書けばページが埋まっていく。そのこと自体に意味があるのかもしれない。