KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

オンライン教育は、3分のビデオで教育を成立させようとする試みなのだ

この記事によると、MOOCsとしてビデオ教材をゴロンと出してみても、自力でコースを修了できる人はごくわずかであることを「オンライン教育の二宮尊徳問題」と呼ぶそうだ。誰もが、二宮尊徳になれるわけではないという意味で。

http://jp.techcrunch.com/2014/11/10/udacity-vp-clarissa-shen-will-give-a-talk-at-techcrunchtokyo/

というわけで、いったん幻滅を見たMOOCsが復活するポイントは次の2点のようだ。

  • メンター指導で課金すると同時に、修了率を上げていく。
  • マイクロコースを開発していき、ナノ・ディグリーを授与する。

オンライン教材そのものはフリーで公開するけれども、それを修了しようとする多くの人にはメンターが必要である。メンターを有料化することで、メンターにも経済的な恩恵をもたらし、学習者も支払いをすることで自らの動機づけを高め、修了率をあげるというwin-winの関係を構築する。

ふたつめのポイントは、大きなコースではなく、限定されたトピックのマイクロコースを開発すること。そして、コース修了者には、「ナノ・ディグリー」と呼ぶべき小さな学位を出すことだ。

これは、単位制度で構築された高等教育への痛烈なアンチテーゼになると思う。124単位を集めれば、学士号が取れるということで高等教育が成立した。124単位という数字にも意味はないし、1つのコースワークが15回分であるということにも意味はない、そして、1回の授業が90分であることにも何の意味はない。

オンライン教育は、3分のビデオで教育を成立させようとする試みなのだ。

この記事で言及されている「新しいメディアが誕生するとき、常に人々は1つ前のメディアをそのまま持ち込むものだ」という現象は、オンライン教育にもあてはまっている。オンライン教育は無意識に「単位積み上げによる大きなディグリーの授与」というシステムを採用してしまった。その古いシステムはおそらくオンライン教育には、ふさわしくないものだと思う。