KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学の先生と、翻訳家

2025年8月26日(火)

ブログ「野田俊作の補正項」の話の続き。

「無免許」はいかんということだが、その意味では、野田先生亡き後の日本アドラー心理学会(JSAP)も、そこから別れた野田俊作顕彰財団(AIJ)も、きちんとマイスター制度を引き継いでいる。ヒューマンギルドも商売気たっぷりだがマイスター制度といえよう。

ということで野田先生の蒔いた伝承システムの種はきちんと継承されている。それでいいのだろうし、多分その形以外では存続できない。全ては継承するマスター=師匠の質にかかっている。

2017年のブログでこんなことを書いている。

> 2017年02月10日(金)

> 用心しなければならないのは、大学の先生と、翻訳家だということが、経験からわかってきた。大学の先生は、たしかにある領域では「人に教えていい」ことになっているのだろうけれど、何でも教えていいわけではない。たとえば国文学の教授が外科医学の講義をしたりしたらおかしいでしょう。ご自分の専門領域のことだけに限って教えられるのがいいと思う。また、翻訳家のことを専門家だと思い込むのは、明治時代についた日本人の癖だと思う。私はチベット語の経典の翻訳をしているけれど、そこに書かれていることを体得しているわけではないので、とうてい人に教えることなどできないと思っている。アドラー心理学も同じことで、どんなにたくさん翻訳しても、日常生活で実践していなければ、人に教えることなどできない。/あ、もう一種類、人に教えたがる人がいることを忘れていた。それは「セミナー屋」さんたちだ。この人たちは、アドラー心理学の普及が目的ではなくて、金儲けが目的なのだから、論外だ。だからといって、「あなた方には人に教える資格がない」と言っても、商売はやめないだろう。

https://adlerguild.sakura.ne.jp/diary/2017/02/10.html

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ここで言っている「教えてはならない人」の3種類とは、大学の先生(頭でっかちで実践を伴っていないから)、翻訳家(たくさん翻訳していても実践していないから)、セミナー屋(金儲けが目的だから)ということだが、大学の先生とは私のことを指し、翻訳家とは岸見一郎氏を、セミナー屋とはヒューマンギルドの岩井俊憲氏を指しているのだろう。

こうした口さがないところが野田先生の特徴だが、『嫌われる勇気』が売れ、私も中野エクステンションなどでアドラー講座を開いていたので、何か一言言っておきたかったのだろう。