KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

文学部はいらない?

「文学部はいらない」とは大いなる愚論なり!
経済学部にしたところで、直ちにビジネスに活用できることなど滅多にない。とくに最近の経済学部、商学部では、入試に数学が要らないところが多く、計数にまったく疎い経済学部学生、商学部出身者という冗談のような存在が山のように出ている。/それに比べれば、文学部で論理学や統計学やコンピュータを真剣に学んだ学生の方が「使える」に決まっている。/だが、私がここで強調したいのは、文学部の出身者もホントは実社会で「役に立つ」ということではない。そうではなくて、直ちに「役に立たない」学問をこそ、大学は死守すべきだ、といいたいのだ。

 大学改革の煽りで「役に立たない」文学部の不要説が出てきているとのことだ。初耳であった。文学部廃止? なんじゃ、そりゃ? 大学改革ってのは、実質的に働いていない教員を淘汰したり、非効率な会議をやめたり、つまらない授業を少しでも面白くしようと努力することなんじゃないのか? 文学部を廃止してどうするつもり?

 「省庁も統廃合することだし、世間の皆様が許さないので、どうしても大学の学部を削ってほしい」という要求がでてきたら、廃止するのは文学部ではなくて、教育学部がいいだろうね。私自身が教育学部に勤めているのにこんなことをいうのは自分の首を絞めるようなもんだが、事実はそうなのだからしかたがない。現実に、教育学部を出なくても教員免許を取って教員になることはできるのだ。教員養成は教育学部の専売ではない。制度がそうなっているのだからじたばたしてもしょうがない。

 教育学部にしかできないことがない限り、教育学部は廃止の第一候補になるのである。教育学部にしかできないことって何だろう? 思いつくままにあげれば、教育学、教育心理学、教育社会学、教育史、学校経営学、教師研究、授業研究、(教育工学もいれたいところだが工学部にあるところが多い)といった領域だ。しかし、こうした領域の担当教員を全部集めても10人程度ですんでしまうから、やはり学部の規模にはならないのである。というわけで、文学部より先に教育学部がなくなるというのが私の予想である。実際に、教育学部の中核と見なされる教員養成コースは急激に規模を縮小しているので、私の予想というよりも大方の予想といったほうがいいかもしれない。