KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

教育学部のアイデンティティ

長い教授会。

3大学合併後の学部構想などを早急に出さなくてはならない。たたき台は出されたが、どうも不十分だ。しかし、「それでは何かアイデアを」と言われると、どうもいい案がでない。それは、何とか「教育学部としての」生き残りを、ということが縛りになっているからだろう。いままでのことをちゃらにした上で、ゼロから考え直すのが意外にも一番近道のような気がする。しかし、それは難しい。

両隣の、金沢大学も新潟大学も研究系大学で進みそうだ。したがって、教員養成は縮小するようだ(研究系大学では、修士までしかないコースはお荷物になるので)。そこで富山大学は教員養成を核にした教育学部でがんばろう、という読みだ。しかし、これでは逆に、新しい学部を設計する上で足かせになる。これまで、非教員養成コース(ゼロ免コース)を作ることで学生定員の数合わせをしてきた作戦は、今度ばかりは、もう通用しないと思う。

しかし、「教員養成」に代わる、学部のアイデンティティは、というと、見あたらない。一方、教育学部の教員が「教員養成」に自分のアイデンティティを見いだしているかというと、そうでもないように見える。私に関して言えば、10年前に採用されたときからゼロ免の専任だったから、教員養成はしてこなかったというのが正確だ。私の専門領域である教育工学では、教員養成は全体の領域のごく一部をしめる応用実践部門に過ぎない(教員養成をターゲットにしている研究者はもちろんいる)。

免許解放制のもとで、教員養成は教育学部の独占事業ではないわけだが、学校教員にさまざまな問題が起こっている現在、教員養成のシステムから見直すことが必要なのだろう。それが、新学部構想の立脚点になるかもしれない。しかし、おそらくそんなことをやっている時間はないのだろう。