もし、学習のプロセスが大事だというなら、それを評価すべきだ。それがポートフォリオになるのだろう。しかし、学習成果を重視するIDの考え方から言うと、学習過程はいかに良い学習成果をあげるのかを考えるときに(そしてそのときのみ)重要だ。言い換えれば、学習過程単独で評価することはできない。それは成果が出ないときに「でもがんばったんです」ということと同じだ。がんばったなら良い成果が出るべきだし、成果が出なければ間違ったがんばり方をしたということだ。
とはいえポートフォリオを残していく意味はある。次のような点だ。
- 自分自身が歩いてきた道のりを振り返ることができる
- 自分をプラスに評価できる。やっていけば必ず増えるから(テストは100点からのマイナスであることと対比)
そう考えると、「100点からの引き算」じゃないテストを考案することは意味がある。あるいは、引き算じゃないレポートとか。
たとえば、授業期間中に何回でも小レポート(1000-2000字くらいの)を提出して良い、とする。教員はそれを読んで、これなら何点あげられるという点を記して返却する。学生はそれを保存しておき(ポートフォリオとして)期末にまとめて提出するという具合だ。記された点数の合計がそのまま期末の成績になる。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるとばかりレポートを提出する学生が出てくるだろう。でも、それは結局のところ、勉強したことになるからいいことである。初めは、あまり点数を取れなかったけれども、期末までには良い、点数の取れるレポートを書くようになったとすれば、それこそ学習の成果といえる。以上はレポートでなくて、テストでも同じに成立する。0点を取ってもあまりがっかりしないテストになるはずだ。
問題は教員の負担だ。レポートやテストに対して、それなりのフィードバックをしなければ、改善につながらないので。