KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

PlayStation あなどりがたし!

新年あけましておめでとうございます。この「週刊chiharuNews」も2年目にはいりました。昨年同様、よろしくご愛読お願いします。購読料ください、なんてことはいいませんので、ぜひ、思ったことがあったらそれをメールにして送ってくださいね。2年目の本紙では「読者投稿欄」というのをやってみたいのです。あなたのメールを待っています。

正月はただひたすら食って寝るというのが毎年の儀式である。食って寝る以外はたいてい本を読んでいるのだが、今年はソニーPlayStationというゲーム機を買ってきた。すでにスーパーファミコンのお子さま向け味付けに飽きていたのに(「ドンキーコング2」も途中で投げ出してしまった)、新しいゲーム機でもないような気がするが、ソニーのこの製品とPlayStation用のソフト群はファミコンとはまた別の路線を進んでいたことがわかった。それを報告したい。

クールボーダー

スキーもまだへたくそなのに、スノボができるわけないんだが、そんな私にもボーダー気分にならせてくれるゲームがこれ。先の見えないような急斜面を滑り降りるというか、転げ落ちるような恐怖感までも再現するグラフィックスがみごと(リアリティ)。ただ滑り降りるだけでなく、途中で回転やボードをつかむワザをきめると、英語のナレーションでほめてくれると同時に点数が加算される(即時フィードバック)。一本滑り降りるとそれをリプレイしてくれる。それも自分の視点ではなく、コースの要所からのカメラワークで滑りがかっこよく見えるので、悦にいることができる(リフレクションの促進)。さらに、よく滑れたときのものをメモリーしておいて、ゴーストとして、同時に映し出すことができる。これによって前の自分の滑りと今の滑りを比較することができる(自分の進歩の確認)。カッコの中で示したように、これはCAI教材の好例として見ることもできる。CAIの研究成果はこんなところで進化していたのだ。

逆に見ると、多くのCAIがなぜつまらないかの原因をこのゲームから探ることもできる。つまり、フィードバックやリフレクションの促進といった原理的な機能を、全体のゲーム(あるいは教材)の中に「埋め込む」ことが必要なのだ。いかにもそれとわかるようなフィードバックではなくて、全体のゲームとして不自然にならないような構成部分として存在していなくてはならないのだ。

パラッパラッパー

このゲームは新機軸である。ラップの先生のお手本にあわせてボタンでうまくリズムを刻めればOKである。音楽とイラストが楽しくできており、ゲームの内容はリズムを刻むというシンプルこのうえないものでありながら、ハマっていってしまう。うまくリズムができれば、キュッキュッというスクラッチ音が小気味よくきまるが、へたくそだと、お手本の先生がへろへろになったり怒りだしたりする。それもまた楽しい。リズムがきちんと刻めた上に即興が決まると評価もGoodからCool!へと上がるのだ。

新機軸のゲームだと書いたが、この源流は「パーティサイモン」ゲームにあると見る。パーティサイモンは四色のボタンに別々の音程が割り付けられていて、任意のボタンが光ると同時に音が鳴る。そのお手本通りにやると順に音列が長くなっていき、どこまで覚えられるかという一種の記憶ゲームであった。このゲームが今に蘇るとパラッパラッパーになるのだ。アイデアは単純で古くからあるものでも、仕上げ次第でどれほど面白いものになるか、そこが腕の見せ所であることがよくわかる。

といったようなわけで、上に上げたソフトも含めて何本ものソフトを買い込んでしまった。正月の暇な時間はほとんどPlayStationにつぎ込んだ。CAIがとろとろしている間に、ゲームはものすごい進化をしていることにいささかショックを感じながら、研究への熱意が燃え上がってくるのであった。