KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ファイルが失われるとき

 久しぶりに落ち着いた週末だ。やはり週末はのんびりとしたいものだが、なるべく平日は出張したくないので、自然とイベントは週末に限られてくる。来週末は法事で東京だし、11月は3週連続で県外に出なくてはならないので、今から気が重い。まあ、行ったら行ったで結構楽しくやってはいるのだが。

 エイミちゃんもファイルが消えてえらい目にあったみたいだけど、うちのゼミの浦崎さんのケースも大変だった。数カ月かけて作ったWeb教材はなんとか復旧できそうだけれども、それ以外の課題作文やそれにつけられたコメントなどはリレーショナルデータベースのデータなので回復できそうにない。「重要なデータほど壊れやすいし、しかもバックアップを忘れている」というマーフィーの法則が思い出される(←そんなのあったか?)。実際、生き残っていたのはいつでもインストールできるアプリケーションばかりだったので、この法則は正しいかもしれぬ。ハードディスクは初期不良の時期を越えると安定して動くので、いつかは壊れるということを忘れがちだし、データのサイズも大きくなるばかりなのでバックアップ作業も面倒くさい。やはり、スケジュールにしたがって自動的にバックアップを取ってくれるようなプログラムを導入すべき時期なんだろうな。

 ゼミOBの石井くんが提唱する「停電効果」は、「パソコンの電源が停電などで急に落ちて、途中まで書いていた文章がなくなってしまったとき、気を取り直してもう一度書くと前よりもいいものが書ける」というものだ。マックを昔から使っている人は、停電でなくてもしばしばハングするということを体験しているので、2, 3行書いたらすぐ「コマンド-S」を押して保存するという「指ぐせ」のついている人が多い。あなたもそうじゃありませんか? 私はそうです。

 ファイルが突然失われるということは、「小さな死」に近いものがある(←エクスタシーのことも「小さな死」っていうなぁ)。たとえば、私の「しごとにっき」は1年以上に渡り、ファイルになって残っているわけだけれど、それが一気に失われたとしたらどうだろうか。まさに小さな死というショックを受けるだろう。しかし、しばらくたてば、それなしでも別段人生に変わりはないような気もする。だからいつか全部印刷しようと思いながらも、印刷していない。印刷すると読まないような気もする。オンラインであれば、「一年前」ボタンをクリックして、「ああ、一年前はこんなことしていたんだ」という確認が簡単にできる。この「軽さ」はオンライン独特のものだ。