KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

自分の力で変えられるもの

 長谷川さんの「日記読み日記」でこんなコメントをいただいた。長谷川さん、ありがとうございます。

ちはるの多次元尺度構成法(日記)なにが与えられているかが問題ではなく 【応用行動分析でも認知行動療法でもヤマギシズムでも、まず現状を受け入れ、そこで何を変えられるかを考えていくという立場をとっているように思う。ただこれを無制限に適用してしまうと、昔の身分制度も人種差別も何でも固定されてしまう恐れがあるような気もする。】

 ヤマギシズムについて聞くところによると、親子も分離されて労働的コミューンに入れられるようだから、「与えられたものをどう使うかが問題」という指示は支配する方にとっては確かに好都合な論理になる。基本的に自分の力では変えられないもの---たとえば性別、生誕地、家族、配偶者、(過去の)経歴、学歴など---について思い悩むことよりも、自分の力で変えられるものに注目しようというのが私の言いたいことだった。自分で考えることができれば、コミューンにいつづけることも、そこを去ることも自分の決断でできるはずだが、そういう思考を何らかの手だてで奪うことは罪なことだと思う。

 行動分析学は他人の行動を変化させるさまざまな技術をもっているはずだが、私自身は教師としての役割以外はあまりその技術は使いたくない。他人の行動を変えようという気が起こらない(配偶者の行動制御なんて少し考えただけですぐにあきらめる)。それはけっこうしんどい仕事であるし、他人を変えたところで見返りはほとんどないからだ。それよりは自分を変える方が面白いし、楽しい。ともあれ、他人の行動を変えることにかかわる仕事を持っているすべての人---教師、トレーナー、カウンセラー---は行動分析学を学んでいるべきであるし、一般の人は自分がどのように行動制御されているかということを(消費者教育の一環として)知っておくのがいいと思う。