KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ゲームとしての補助金申請

 大学教員にとっては、今は研究補助金の申請書を書く時期である。正確には文部省の科学研究費補助金、略して科研費(かけんひ)という。種目によっていろいろな規模があるが、百万程度の課題から一千万以上の課題まである。大体の採択率は10%から20%代である。この補助金に対して、自分のやりたい研究計画(プロポーザル)を書いて、申請するわけだ。その時期が今である。

 自慢じゃないが、落ち続けている。私がその昔、助手をやっていたときに申請したものが採択されたのが、最初で最後である。それ以来、毎年申請しているがうかったことはない。あれはビギナーズラックだったのだろう。

 数えるのもしゃくなので正確ではないが、もう7,8回は落ち続けている。教員の任期制が私の大学でも本格採用されて、その基準が科研費の採択率にでもなったなら、私は真っ先にクビになることだろう。ああ。

 しかし、冷静になってちょっと計算してみよう。今、落選する確率が80%だとして、8回連続で落選する確率は、(0.8)の8乗で、0.17となる。かなり低い確率である。8回落ち続ける方が難しいのだ。どんなもんだ(←ヤケクソ)。また、3回連続で採択される確率もついでに計算してみよう。私の周りにはこういう人がけっこうたくさんいる。(0.2)の3乗で、0.008である。100回やって1回に満たない確率である。3回連続で採択された彼らは神様であろう。もちろんこの計算は「ランダムに採択される」という仮定でのものである。現実には申請の内容そのものに優劣があり、それに基づいて審査されているのだから、この計算通りにはならない。

 しかし、それでもなお、落ち続ける人は落ち続け、うかり続ける人はうかり続けるという傾向を見いだすことができるだろう(文部省は採択率などのデータは公表しているのだが、連続何回で採択された人が何人というデータはだしていない)。申請書には、以前に科研費でおこなった研究を申告する欄があるから、すでに科研費で研究をしていれば採択が有利になるということはあり得る。また、すでに研究成果をあげた人に対しては、このあとも研究成果をあげる確率が高くなると見て、採択するという論理もうなづける。しかし、研究とはある程度ギャンブルである。今では誰もが認める大発見、大発明をしたという人が、その研究の萌芽期にはその価値を認められずに研究費集めに苦労したというエピソードは実によく聞く。

 私の研究が大発明になる、などと大それたことを言いたいわけではない。こうした研究計画の審査には価値判断が必然的にはいってくるということである。この研究にお金をつけるかどうか、おもしろいかどうか、将来役に立つかどうか、という判断は、直接的には審査員がし、間接的には審査員を取り巻く、学会、学閥、産業構造、社会構造に規定される。そうした諸々の環境(ルール)が規定するひとつのゲームである。そして研究の価値はそのルールが規定するのである(これはヴィトゲンシュタインの説による)。

 まあ、そういう意味では私はゲームに負け続けている。現行ルールでは、私の申請には価値が認められないという判断をされている。まあ、それでも良かろう。補助金をもらうために策を弄するのはやめだ。研究者の義務として申請はしつづけるが、ゲームに負けてもかまわないと考えよう。おそらく私は補助金ゲームに参加するよりも、ゲームのルールそのものを作りたいのだろう。