KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

いつ甘えが復活するか/保険を考えた人は賢い

 妊娠中の妻が高血圧で、大事をとって先週から入院していたのだが、週末に一時帰宅できることになった。まあ、体に不自由がないのに一週間以上も入院していると退屈するだろう。今朝、妻を実家に連れてきた。実家に待っていた娘は感動の対面をするかと思えば、そっけない、そっけない。「ママ」とも言わない。そんなものなのか。

 そういえば、10/23に「産みの親より育ての親」を書いたときに、紅緒さんからこんなメールをもらった:

寂しいだけなのかもしれやせん。ウチの息子1を、あたしと息子2の入院中預けていたのですが、帰ってきても素っ気ないこと素っ気ないこと。一緒にいられないけど、そんなの平気だもん。みたいな均衡をとっているのかいないのか。

でも小さい割に我慢していたらしくて、あるきっかけをもとにぶわーっと子供らしい感情が飛び出しました。まぁでも現金ですけれどね。子供って。それ以上に入院とかの空気を察知して遠慮したりするから不思議です。

 きっとそうかもしれない。本当に子供って不思議。だって、自宅にいたときは、ママにべたべた甘えていたのに、この豹変。いつ、あの「甘え」が復活するのか観察していよう。楽しみ(←心理学者)。

 入院費やら出産費などがかかるし、自動車のお金も払わなければならないしで、家計はきびしくなってきている。しかし、生命保険から入院に対するお金が出るのは助かる。

 よく考えると、私は就職した時点から生命保険を払い続けている。もう二十年近くになる。しかし、一度も病気や入院や事故などで、保険会社からお金をもらったことがない。なんとなく損しているような気分だ。

 そう私が言うと、妻は「それだけ健康で、事故にもあわずにこれたんだから、いいじゃない」と。そう、確かにそうなんだ。保険金が下りないということは、身体的に幸福だということ。そのことと、保険費用を(無駄に)払い続けたという気持ちがバランスするようにできている。保険というしくみを考えた人は賢い、と思う。