KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ネットワークが死んでも腹は空く

 この日記をアップする頃には、ネットワークが生き返っていて欲しいのだがはたしてどうだろう。日曜から、大学のネットワークが死んでいて、学内からアクセスした場合は、その外が見えず、外からアクセスすれば、富山大学は見えない(皆さんの場合はこのケースにあたる)。月曜になって、原因は金沢大学のネットワークがこけていて、その影響でこちらまでこけてたのだとわかる。富山大だけではなくて、富山県立大も、富山商船高専もだめだとのこと。

 しかし、インターネットっていうのは、たとえ一カ所が不通になってもそこを迂回して通信ができるので頑健なのだ、ということをどこかで習ったような気がするんだけど、あれはウソだったのかなあ。金沢大こければ皆こけた、ではマズイのではないだろうか。特に科研費の申請が間近で、メールでその共同研究を組織しようという人は青くなっていたのではないか。電子メールが使えなければ仕事もストップする。そういう時代なのだ。

 しかし、この風景はなんだか異様だよ。見た目の日常生活はまったく普段と変わりないのに、ネットワークだけが死んでいるんだな。停電とか、断水ならはっきりとその影響がわかるのに、コンピュータは動いていて、ネットワークだけが死んでいると見た目はまったくわからない。しかし、実際の被害は甚大なのだ。まあ、メールも来ないし、Web日記も読めないので、心がとても平安になるという体験はした。ちょっとだけ原始時代の生活に戻った(←大げさ)。しかし、コンピュータって、ネットワークにつながっていないとなんだか間抜けな機械だね。コンピュータが賢く見えていたのはネットワークがその裏にあったからなのだな。

 ともあれ、ネットワークが死んでも腹は空く。生活には影響ないけれども、心理的には、皆さんがすごく遠くにいるような気がしました。