KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学の授業とPSI

 大学の教養科目として「言語表現」と「情報処理」を担当している。前期にすでに終わった情報処理では、受講生40人超のところ、9人しか合格しなかった。それで、そんなに大勢の受講生を落とすのは何か問題があるのではないかと、私の知らないところで話題になったそうだ。成績をまとめた時点で、私もこれはちょっと落第しすぎだなと思ったくらいなので当然だろう。

 情報処理の授業はPSI(Personalized System of Instruction = 個人化された教授システム)という方式で実施している。PSIでやっているのはこのほかに統計学があるが、すべての私の授業をこの方式でやっているわけではない。PSIは授業の内容が単元化しやすく、それを積み上げることで全体を構成できるようなものに適用するのがいいからだ。

 PSI方式の特徴はいくつかあるが、最も重要なのは、「自己ペースによる完全学習」である。学生はCD-ROMに収められた教材を自分のペースで学習し、単元が終わると通過テストを受け、完全にマスターしたことを確認して次の単元に進む。通過テストは個別にプロクターと呼ばれる指導員によって実施される。プロクターは通過テストをするだけでなく、学生からの質問に答えたり、アドバイスをする。私の場合、プロクターは4〜6人程度である(院生や学部3,4年生)。つまり一斉授業はまったくしない。学生は授業時間中はもちろん、空き時間でも、(パソコンがあれば)自宅でも学習を進められる。ただし通過テストは授業時間中だけに実施している。

 自己ペースでできると言ったが、大学の場合15週で完結することという制約があるので、最終テストを最後の回におこなっている。つまり、最終回までには全単元をマスターしていなくてはならない。最終テストを受験する人は、ほぼ100%合格する。なぜなら、そこまでたどりつくのは、全単元の通過テストに合格している学生ばかりだからである。

 PSIはアメリカの大学ではいろいろな形で実践されているそうだが、完全に普及していない理由のひとつとして、提唱者のF. S. ケラーが語ったところによると(慶應大学の杉山尚子さんからの情報)、

PSIで教授すると、全員が高い学習成績をおさめるので、いわゆる「秀才」たちが嫌う

 ということだそうだ。これは面白い。きっと競争の大好きな秀才達はPSI方式は嫌だろう。PSIは一定の水準に達すれば全員が合格であるし、自己ペースのシステムによってタイムプレッシャーを抑えている。もし自分が遅いペースであるとわかれば、自発的に授業時間以外にやることでこなしていくことができる。こうしたことがPSI方式の良さだ。競争はいらない。

 さて、PSI方式で実施した教養の情報処理授業で大量の落第者が出たのはどういうわけだろう。教材内容の問題とはあまり考えられない。というのはまったく同じ内容の別の授業では9割以上の合格者を出しているからだ(当然合格者全員が「A=優」である)。とすれば、教養の授業が2コマ連続の7.5週でおこなわれたことや、学生の動機づけが低かったことなどが考えられる(教養科目はとにかく単位さえとれればいいという考えの学生が多い)。考えていかねばならない課題だ。

 最近の大学審でも「きちんとした成績をつけるように」答申されている。そんなことは指摘されるまでもなく「公平な(フェアな)評価のないところに適切な努力は生まれない」と思う。

追記

鳴門教育大学の島宗さんのページで、ケラースクールの様子が読めます(長谷川さん、情報ありがとうございました)