KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

恐ろしくも、わくわくする行為

 ともあれ、これで三日間日記を書き続けたので、1999年の三日坊主はクリアした。毎日の記録のまあくんが言うように、これから300日以上も日記を書かなくてはいけないというプレッシャーを感じてしまうと嫌気がさす。今こう書いただけで嫌気がさしてくる。しかし、そうではなくて自分の楽しみのためにやるということだ。誰に指図されたわけでもなく、自分が書きたいから書く。自分のために書く。僕も実は何のために書いているのかよく分からない。だけど、それは書いているうちに見つけだすような気がする。

 「○○のため」という目的があまりにも明確な行為は、つまらない。学校や教育機関でやらされるたいていのことがつまらないのはそのためだ。受験勉強がつまらないのはそのせいだ。書かなきゃいけない原稿が書けないのはそのせいだ。反対に、どこに連れて行かれるのか分からない行為、これをやったら自分がどうなるのか見当もつかない行為ほどわくわくすることはない。

 日記を書く行為には、このわくわく感がこっそり隠されていることに多くの人が気づいていない。書き始めたら、何を書くことになるのか分からない。制御がきかない。自分がどう変わっていくのかわからない。書くことで何かを殺し、何かを生かす。何かを拒否し、何かを受け入れる。それは恐ろしいことだ。ささやかな勇気のいることだ。危険なことでもある。しかし、わくわくする行為であることに間違いない。日記の楽しみを知らない人は、日記には書くべき内容が決まっていると思いこんでいる。しかし、本当のところは、それは書いてみなくてはわからないのだ。