KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

悩みを書いて解決するならこれほど楽なことはない

 世間的には夏休みらしい。ニュースで出国ラッシュの映像を映していたし、何よりも、来るメールが少ないから。ああ、いいな〜。タイに行きたい。南国の頭になりたい。しかし、きょうの富山はもしかするとタイよりも暑かったかもしれない。それなのに締切を律儀に守って、原稿を書きに大学に出ていた私。明日は海でクラゲになろう。そうしよう。しかし、妻は水族館に行こうといっている。クラゲを見るより、クラゲになった方がずっと楽しいのにな。

日記にまつわる思い出
 投稿者:ほのか  投稿日:07月29日(木)23時54分02秒

そうそう、日記のことを書こうと思っていたのでした。私が日記を付けようと思うのは、だいたい何か悩み事があるときです。人に喋れないのでかわりに文章にして自分の中から追い出してしまおう、と考えるわけです。でも、だいたい1週間で挫折します。やっぱり、最初に長く書きすぎるからなんでしょうね。今は全く付けていません。だからといって悩みが全然ないわけじゃなくて、文章にしても解決しそうにないな、と諦めてしまっているからでしょう、たぶん…?Web日記をつけている方々は、どんな動機から日記を付け始めるのでしょう?でも、個人的には日記を付けるのはいい習慣だとは思うんですよねぇ。私自身は続かないけど……くどくどと駄文を書いてしまいました。いつも私の文章はまとまりがないんですよね。小論文の模試では『抽象的すぎる』というコメントが毎回ついてましたし。喋るときは結構ズバリと言う方なんですが、文章にするとナゼか……ナゼなんでしょうね。

 日記に、悩んでいることや、苦しく思っていることを書くというのはよくあるパターンだ。悩みを書いて、それですっきりしてしまおうというわけ。でも、僕は、悩み事や苦しいことを日記に書いても、あまり解決には至らないんじゃないかと思っている。解決どころか、かえって悩みが解決しないことが明らかになってしまって暗くなったりする。

 書いて解決するならこれほど楽なことはない。実際、書いて解決することなどほとんどないのだ。問題を解決するのは書くことではない。行動すること以外にない。書くのが有効なのは、その行動の設計図を引くときだけ。

 書くことが危険なのは、こういうことなのだ。書いて、書いて、書きまくる。しかし、日常の行動は一切変わらない。書いたことで気が済んでしまっているからだ。あるいは書かれた世界において問題が解決済みになってしまうからだ。これは危険だ。現実の問題は解決しない。重要なのはあなたがどう考えているかではなくて、どう行動するかなのに。

 おそらく、書く人は書かない人と同じだけ危うい。書かない人は感情と直観に頼って行動する。書く人は、それまで考えてきた論理の延長上で行動する。どちらも危うい。実際書くということは、書く前に考えていたことをさらに強く信じることを強化する。信じていないことは書かない。信じていたことをさらに強めるために書くのだ。だから書き終えるとなんとなく安心する。そして、また書く。

 悩みを書く人は、書かれた悩みの延長上に何かいいことがあると信じている。しかし、実際には悩みの延長上には悩みの解決策はない。たいていの解決は違った方向、違った次元からやってくる。それは外からやってくる。しかし、書く人はそれを受け入れられない。それを受け入れたら、これまでせっせと書いてきた自分が壊れてしまうからだ。

 書いても悩みは解決しない。解決の道は、書かずに行動するか、あるいは、自分が書いた物を捨てて冒険することだ。