KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

頭を空にするすがすがしさと迷惑/言語表現科目の意味

——今日はどんなことがあった?

おい、まだ続けんの? それ。

——慣れればけっこう書きやすいでしょ、このスタイル。

んまあ、そんな感じもするけど。

——で、今日はどんなことがあった?

連休明けでなんだかあわただしかったよ。授業は「統計学」と「情報処理」のふたつだけだったんだけど、その間に日本経済新聞の記者さんのインタビューを受けたりして。だからバドミントンもできなかった。

——なんだよ、バドミントンくらいできなくたってどうってことないじゃない?

それが違うんだなあ。バドミントンは僕にとって毎日の散歩みたいなもので、頭を完全に空にするために必要なものになりつつあるんだよ。

——頭を空にするだって? へえ、それじゃいつも何か難しいことを考えているみたいじゃない?

難しいことじゃないんだけど、仕事をしていると細かいことをあれこれ考えなくちゃいけないじゃない。それ以外に頼まれ原稿の構想とか、論文の査読が回ってきたり、科研費にまた落選したことを悲しんだり、それから研究のこともたまには考えなくちゃいけない。

——研究はたまにでいいのか? そういえば、ヴィトゲンシュタインだっけ、よく映画館のスクリーンのすぐ前に座って安物映画を見ていたらしいね。そうでもしないことにはふだんの思索が彼自身を苦しめたらしいよ。

そういうすごい人とは縁のない話なんだけど、頭を空にするというかリセットするというのは必要みたい。空にした後は、重要なものだけが見えて、細かいところはどうでもいいんじゃない、という気分になってくる。とてもすがすがしいわけだ。

——なるほど、そういうことをしているから、学生さんから「自分がいったことを覚えていない。いい加減だ」とか言われるわけだな。迷惑な人だ。

確かに迷惑には違いないね。しかし、それは学生さんの自主性、自律性を育てるための深〜い戦略なのだよ。先生をあてにしてはいかん、ということを自ら悟るわけだ。

——なんだかな。ところで日経の記者さんのインタビューというのは?

おお、そうだ。よく覚えているね。

——一応、人工知能なんでね。

あ、やっぱり人工知能だったのか。それじゃ、君には「HAL」とでも名前を付けようか。それが古めかしいというなら「DATA」でもいいぞ。

——やめてくれ。そんなにすごいモノじゃないし。

またまた。並の機械にはそんな謙遜はなかなかできないぜ。

——で、インタビューは?

ああ、そうだ。いや、富山大学でやっている「言語表現」という教養科目のことだったんだけどね。こういう科目はだんだん広まりつつあるし、割と早い時期からやっている背景を聞きに来たんだそうだ。経済学部の岡村さんとNHKの小野さんもいっしょだったから、私はあまりしゃべらなくてすんだんだけど。コーヒーなんぞをサービスしてましたな。

——なんだ。天下の日経に紹介されるのかと思えば。

そういうことではないのね。言語表現という科目は大学生に「書き方」や「話し方」を教えるわけなんだけど、そういう科目が必要になってきたということがポイントなんだと思う。それは「近頃の若者は全然書けない。しょうがないなあ」という話じゃないのよ。そうじゃなくて、大学が「書く技術を教えることができるのだ」ということに気がついたことが重要なんだね。そして気がついた人は国語や文学などの専門家ではなくて、工学や経済などの専門家なんだなあ。

——つまり情報の伝達技能の重要性を心底知っている学者たちだね。

そう。彼らはそれを知っているから、こりゃ後輩に訓練しておかないとまずいぞと思うわけだ。そしてやってみれば訓練できるわけだ。書けないのは書かなかったからだという単純なことが明白になった。

——なるほど。しかし、その割にはあなたは「日記を書く」なんて突拍子もない授業をやっているね。

おっと、それについてはまた今度。