KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「沈黙は金」

——今日は暑い日だったね。

お昼に「ドドン、ドン」と花火が鳴った。

——昼に花火? どういうこと?

ここ魚津では蜃気楼がでると、花火を鳴らして住人に知らせるのだ。で、それを聞くとみんな海岸にでてきて蜃気楼鑑賞を始める。「きょうはまたいい蜃気楼で」とか言いながら。もちろん写真を撮る人もいる。

——話、半分に聞いておくよ。

細田さんの「ホソキンズ・ルゥム」を読んでいて、思わず目から鱗だったね。

——「目には目を」、「沈黙は金、雄弁は銀」といった格言の本当の意味ね。「目には目を」の本当の意味は、目をやられたら目をやり返せという意味ではなく、目以上の復讐をしてはならない、ということなんだってね。

ということは、復讐をあえてしないというのもありなんだな。「目には目を…」といいながら復讐を断念するイメージ。今まで持っていたイメージを全く逆になるね。

——翻訳が違っているんだね。「目には目を」じゃなくて「目なら目まで」だね、意味的には。

でもそれじゃなんかしまらないなあ。

——それから「沈黙は金、雄弁は銀」の意味は、雄弁よりも沈黙の方が上である、ということではなくて、逆に雄弁の方が上なんだって。銀の方が金よりも価値の高かった時代につくられた格言なんだそうな。

なるほど沈黙を尊ぶなんて、西洋の格言にしては妙に悟りきったようなところがあるなあ、と変には感じていた。そういうことなのか。雄弁術を発展させてきた文化圏からの格言としてはそうなるよね。

——しかしその後掲示板で、銀が金よりも明らかに価値の高かった時代はない、という情報が寄せられているようだ。

いずれにしても、こういった格言というのは、人類の知恵の結晶だと考えられているから、公理的に使われるよね。つまり証明が不要のものとして。たとえば会議でなんにも言わない人に意見を求めたら「沈黙は金」とかやられたり。そこで議論は打ち切り。誰も「なんで沈黙は金なの?」とは聞かないから。逆に、「そうだよな。沈黙は金だよ、うん」となる。

——その意味で、格言も間違って解釈されたり伝えられたりしているんだということがわかって、面白かった。公理なんかじゃない、ということだ。もし格言が公理なら、格言だけで人工知能が作れるはずである。

「沈黙は金」型人工知能とかね。とにかく一言もしゃべらない人工知能

——そんなんあるか。

格言をクリティカル・シンキングしてみると面白いだろうね。道田さん、宮元さん、『クリティカル進化論』の次はこれだ。『クリティカル格言論』をぜひ。

——おや、今日はエントリーが早いね。

明日、結婚式なので。妻のお姉さんのね。余興で超能力をやるように頼まれているので、透視などをやろうかと。

——またか。しょうがないな。