KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「大学の授業が成り立たない」

きのう(5/24)NHKクローズアップ現代という番組を見た。テーマは「大学の授業が成り立たない」。ある大学では理系の授業についていけない学生が続出しているため、予備校の講師を招いて物理学の補習授業をしているという。これは初等、中等教育での「ゆとり教育」を進めたことの成果である。大学生の学力低下も顕著で、分数のわり算や通分を必要とする足し算ができない人がかなりいる。

——まあ、その事実自体はショッキングだけどね。本当に学力低下かどうかは疑ってかかった方がいい。大学への進学率は徐々に上がってきているわけだから、たとえば10年前であれば大学進学を考えなかったような学力層の人間が進学しているわけだ。つまりその層が足を引っ張っている。公平な比較をしようとするならば、その層を除いた学生でしなくてはならない。

国立教育研究所が「定点観測」といって、同じ問題を出してその成績データを蓄積している。それによるとやはり学力は低下しているとのことだよ。

——それにしたって同じ層で比較すべきだろう。それに問題の中に虚数の問いがあったが、虚数の学習内容が削除された教科書で学んでいる今の学生が不利な成績になるのは当たり前だ。

「二乗するとマイナス1になる」という虚数ね。私も覚えていたよ。すごいね。中学で習って以来一度も使ったことのない知識が残っているんだから。数学者は虚数は数学の世界を豊かにするためには省くことのできない内容だと力説するんだけど、普通の人にとっては一度も使ったことのない知識であることは間違いないと思うね。

——私のように記憶が無限にあるような人工知能なら、虚数の知識が必要なとき、データベースから読み込んで記憶に書き込むのに数秒で済むわけだけど、物覚えの悪い人間だと苦労するね。さんざん苦労して覚えた知識が入試以外には使われないというのはひどく効率の悪い話だ。

番組の結論というか解決策としては、大学に「教養」を復活させるべきだということだった。

——立花隆さんも雑誌でそんなことを主張していたね。

僕は、それは的を外していると思う。各地の大学で教養部を解体しておいて、いまさらそれはないだろうと思う。富山大学でも教養部はなくなっている。まあ教養部が教養を専売しているわけではないけどね。『知の技法』みたいなのをイメージしているのかな。ちょっと読んだけどあれは難しかったな。僕はご免だね。難しいのは嫌いなの。

——あなたのやっている「日記を書く」授業は教養じゃないのかい?

違う。あれはね、「訓練」なの。受講生にはそんなことは言っていないし、思ってもみないだろうけどね。あれは訓練なんだな。教養でも何でもない。もし日記を書くことが教養になるなら、日記猿人は教養的リンク集だぞ。

——それじゃ、あなたが考える大学のキーワードは「訓練」ということ?

そゆこと。