KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

そのたたずまいが凛として美しいのである

きのうに引き続き、「がくもんにっき」の6/21からの引用:

このドラマで目からウロコが落ちる思いだったのは、結局、MacとWinの違いは、機能やオリジナリティーなんてところにはなく、ジョブズゲイツの思想の違いにあるのだと実感させられたことである。つまり、「良い作品をつくればビジネスの成功はついてくる」というアプローチか「ビジネスで成功するように作品をつくる」というアプローチかの違い。

そして:

iMacは完全に完結した物体だ。うちの研究室にiMacがあるが、その完結性と簡潔性には感動すら覚える。デザインが良いか悪いか、好きか嫌いかとか、そういうことは大した問題じゃないのだ。ただただ、そのたたずまいが凛として美しいのである。

いぇー。nackyさん最高。なんか付け加えると原文の品位を損なうような気がするのでこれで終わり。

——おいおい。なんかちょっとくらいコメントしたらどうだ。

そうだね。今度のボーナスで妻にiMacをプレゼントすることにした。僕の使っている初代iMacを使ってみたらすごくいいというので。妻にプレゼントなどするという柄じゃないけど、コンピュータに関しては太っ腹なのだ。2人の机に、ボンダイブルーiMacとストロベリーのiMacが並んでいたら、それだけでアートじゃないかい? たとえ部屋がどんなに散らかっていようともね。

——君の研究室にも2台iMacを入れたんだったね。

そう。四年生の部屋にはタンジェリン(橙色)、三年生の部屋にはブルーベリーが入った。ストロベリーは品薄のようだね。

——マック帝国だね。

でも、今年は思い切ってゲートウェイWindowsパソコンを一台入れたんだよ。Windows用のCD-ROMを作るときのチェック用にね。操作してみるとさすがに速いね。でも、学生さんはひとりとして使っている人はいない。この事実がすべてのような気がするね。

——人間は慣れたものが一番使いやすいということだね。

私の授業でパソコンを使うときはいつもマックなんだけど、家でWindowsを使っている学生は、いつも「マックは使いにくい」とこぼしている。僕自身は持ち歩き用にはVAIO C1のWindowsなんだけど、最近はあまり違和感がなくなってきた。使い慣れたということかな。でも、どうせマネをするならファイル名も長いものが使えるようにして欲しかったというのが小さな要望。まあ、MS-DOS時代からいろんなシステムを引きずっているから難しいんだろう。MS-DOSは、また僕にとっては愛着がけっこうあったりする。

——青春の想い出というところか。

ああ、そうか。そうだね。僕がマックというかAppleにこだわるのは「初恋の味」だからかもしれないね。そういう意味では「Apple II」もそうだし、「東芝ダイナブック3100」もそうなんだ。もちろん、もうそんな機械は使っていないし、そもそもないんだけど、今のマックに「初恋の人の面影」を見いだしているのかもしれないな。

——なんだか妙な話になってきたな。

iMacに「初恋」を思い出させるような何かエッセンスみたいなものが含まれているということさ。