KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

一年前リンクを灯す/自分を生かす方法

……お、「一年前」のリンクが灯ったね。

そう、「日記猿人に参加しようかどうしようか」というタイトルの、初々しい文章だよ。

そうした中で日記猿人に登録することのメリットはあるのかどうか。メリットはないかもしれないがいろいろな影響はあるかもしれない。たとえばいままでの日記はテーマをあつかったものというよりも、自分自身の仕事の記録(だから「しごとにっき」と呼んでいた)であったのだが、もうちょっと他人様が読んでもわかるようなトピックをあつかったものになるかもしれない。まあ、それはそれでなかなかつらい仕事である。しかし、毎日決まった分量のまとまった文章を書くことはライターになるための修行としてはいいかもしれないとは思う。できるかできないかは別問題である。

……なに、君はライターになろうとしていたのか?

そう読めるね。でも、今は「日記ライター」で十分満足しているよ。

……仮面ライダーみたいだな。

そういうサムいしゃれをいっているから、「対話型で書かれた多次元尺度はいまいちですね」と言われるのだ。

……そうかな。「対話型で書かれるようになって、読みやすくなりました」という好評のメールを、確か以前にもらったはずだ。第一、対話型じゃないと、わたくし人工知能の出番がない。

あー、君を登場させるために日記を書いているわけではないので。でもね、対話型の作文は、「これを書こう」という意気込みと確固としたネタがないときに、実にいいんだ。こうだらだらと書いているうちに何かアイデアが出てくる。もちろん、出てこないときもあるんだけど、それはそれで、もどかしさが伝わる。

……でも書くのに楽すぎるのもまずいぜ。

そうね。わかったのは、短い文章を書く方が対話型で書くよりも、集中力が必要だと言うことだ。

「朝の散歩道」の7/12付日記で、谷沢永一著「人間の器量を考える」(PHP研究所)を紹介している:

だけど、一人前のサラリーマン、ビジネスマンが、いまさら人が書いた「勉強法」という本を読んでどうするのか、と私は言いたくなります。だから、その人が自分を生かす方法を自分で発見していないから、ああいう本が欲しくなるわけでしょう。『脳内革命』を読む人は、これまた、自分で自分の健康を維持する努力を放棄し人任せ、薬任せにした人と同じように、自分で考えることを放棄した、思考停止の結果です。

 これは耳が痛い。しかし、自分を生かす方法を自分で発見済みであるような人はいったいどれくらいの割合でいるのだろうか。私は発見していない。私はその方法を知りたい。「あなたを生かす方法なんてないんだよ。あなたはそのままで十全だ」というようなニューエイジ的な解釈はここでは遠慮する。自分を生かす方法が、本当にあるのならそれを知りたいのだ。

 おそらく多くの人が自分を生かす方法を知りたいがために、本や雑誌を読むのだろう。それを(私を含めて)思考停止とするのは、ちょっと厳しすぎるような気がする。トンデモ本の「脳内革命」を勧めているわけではないが。

 ひょっとしたら、人間は自分を生かす方法を考えるよりも、他人を生かす方法を考えた方がいいかもれしない。自分を生かす方法は、実はよくわからない。しかし、他人のことはよくわかる。だから他人を生かす方法もよくわかる。それを実行すれば、まわりまわって自分が生かされるようになるのではないか。