KogoLab Research & Review

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英語公用語論

 今日(8/22)の読売新聞の日曜版に、井上ひさしの「にほん語観察ノート」という記事が載っている。その冒頭から引用:

 英語を公用語にすることには反発もあるでしょう。でも日本人は法律を重視するから、公用語と定めればあっという間に広まって、みんな話せるようになりますよ。このグローバル時代に英語を公用語にすることは、日本が本当の「国際大国」になったという証かもしませんね。

  • アグネス・チャンさん

 「英語を公用語にするよう、法律を定めてはいかが」という船橋洋一さん(朝日新聞編集委員)の提言に、チャンさんは冒頭に掲げたように賛意を表しておいでです(「週刊朝日」8月13日号)。

 このあと、井上ひさしさんは、英国首相のチャーチルが仏・独・伊語ができるにもかかわらず、国際会議で通訳を付けて、けっして相手のことばでは話さなかった例を挙げている。つまり、たとえばフランス語で話し始めると、フランスの価値観に自分を合わせてしまい、英国の利益を主張するには英語で考えるしかないということ。そして、井上さんはこう言う:

 ここに在るのは、「ひとつの言語はひとつの世界観である」という覚悟です。あるいは「ことばは伝達の道具であるが、それ以前にそのことばを使う人たちの文化そのものである」という智慧でしょうか。

 それにしても今頃になって、英語公用語論が復活してくるとは思わなかった。もちろん、そんなことは実現しないと思っているからこそ、知識人が商売としてあえて立論するわけだ。しかし国会で次々と法案を成立させている政府を見ると、小心者の私としては「英語公用語法」だけはやめてほしいと心配する。そんな「国際大国」にはなりたくない、と日本国民の一人として思う。アグネスさんは何か偉大な勘違いをしているのだ。

 その元になった船橋さんの「英語公用語論」の根拠をまとめると:

  1. 大臣や官僚で英語ができないのは日本だけ。そのため国際会議での存在感と発言力が弱まっている
  2. インターネットの時代に入り、メディアも学者もNGOも世界語化した英語を使わないとネットワークに入れない
  3. したがって英語を道具と割り切り、法律で日本語とともに英語を公用語と定めるべき
  4. なによりも、英語を使うことで思考力が鍛えられるし、日本語もたくましくなる

 反論としてはいくつか考えられる。まず、英語に堪能であった大臣や官僚が外交や国際会議で優れた働きをしたならばその例を教えてほしい。もしその例が有意に多いのであったとしてもそのときは、英語に堪能なひとを大臣や官僚にすればいいだけの話で、国民が英語公用語を押しつけられることは理不尽だ。

 英語を使わなければ英語のネットワークに入れないのは当然のこと。日本語を使わなければ、日本語のネットワークに入れないのだ。必要があればその人がその人のコストでそうすればよい。公用語にする必要はみじんもない。

 英語を使うことで思考力が鍛えられたというデータを教えてほしい。同様に、日本語がたくましくなった(←どういう意味かわからないが)というデータを教えてほしい。たとえば一定期間英語圏に留学していた人たちの日本語はたくましくなったのかどうか。思考力は鍛えられたのかどうか。

 英語が日本で公用語になるとどうなるのだろうか。なったことはないので想像するしかないのだが、たとえば、NHKの子供向け教育番組「英語であそぼ」のような日常生活かもしれないな。日本語と英語のチャンポン。もしそんな毎日になったら、それは私にとっては、吐き気をもよおす日常である。オーイエー。