KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「某サイト」と呼ばれるよりは名指しで

 明日から3日間、神戸での教育心理学会の大会に参加する。いろいろな人に会えそうで楽しみだ。特に地方に住んでいると、大都市にいる研究者となかなか会えないから、大会はいい機会になる。まあ、一種の同窓会のようなものか。

 いろいろな人のWeb日記を読ませてもらっている。そこに、私が書いたものについての、感想や意見や批判が載せてあれば、それを読むのはとりわけうれしい。だが、明らかに私のことを指しているのに、「ある人が」とか「あるサイトで」などと呼ばれるのは、あまりうれしくない。取り上げてもらったうれしさがちょっと割引されてしまった感じだ。

 「某サイト」が気持ち悪く感じる理由は、引用したものには必ず出典をつけることという研究者の第一教程で教えられる原則が身にしみてしまっているということがあるだろう。論文や雑誌記事で「ある人がこう言っている」と書いたら、すぐに「ある人とはいったい誰か?」という注文が来るだろう。もちろん意図的に情報源を隠す場合はあるが、公刊された情報を元に議論する場合は、「ある人」という言い方はあり得ない。

 Webの世界は、研究の世界とは違うので、引用した場合は引用元にリンクを張るというルールは確立されていないし、される必要もないかもしれない。特に、「勝手に私のページにリンクを張ってほしくない」という人もいるので、そうした要望は尊重されなければならないだろう。また、そうした人が少なくないために、引用する側も「ある人」とぼかして書くのだろう。それはリンクされたくない人への思いやりの表現である。

 ただ私の場合に限っては、「某サイト」ではなく名指ししてほしいということだ。できればリンクも張っていただけるとありがたい。というのは、「某サイト」では読者がその場所を知ることができないし、したがって、元のページではどういうことをどういう文脈で言っていたのかということが確かめられないからだ。引用は切り取り方でずいぶん印象が違うし(日記読み日記を始めて、それがよくわかった)、要約もずれる場合がよくある。

 今日の日記読みでは、たまたまEIKOさんの日記を取り上げていて、そこで「某サイト」が使われています。実際それがこれを書くきっかけになったのですが、EIKOさんを非難しているわけではありません。あくまでも一般的な話です。EIKOさんには、むしろ、引用していただいて、うれしく感じていますし、そのあとで展開された話も面白く感じています。だから日記読みで取り上げたわけです。

 引用・出典の問題の源流は初等・中等教育にあると考えている。大学や研究の世界では、引用文献リストや脚注による出典明示は当たり前のことと考えられているが、小学校、中学校の国語の教科書では、そのルールも例示もないからである。引用の仕方は早くから教えた方が、いいと思っている。