KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

教育工学会@富山大学

 富山大学に職を得てから「ああこれで学会の世話をすることは当分ないだろう」と思っていた。実際、心理学関係の大きな学会(日本心理学会や教育心理学会)は、来ていないし、これからもまず来ないだろう。学会の大会を開くためには、それなりの柱になる人(大会委員長)とそれをバックアップする教員、それに多くの学生が必要だ。つまり、ある程度以上の規模の大学でないと開けない。

 しかし、今年、教育工学会の大会が回ってきた。そして実際に開いているのだからすばらしいことだ。

 事前の準備は他の先生にまかせきりで、私は何も手伝えなかったから、せめて当日は何かしなくちゃいけないと、会場の見回りを中心にしていた。おかげで足が疲れたが、日頃のバドミントンのおかげで大したことはない。会場を回っていると、液晶プロジェクターの操作がうまくいかないとか、ブレーカーが落ちるとか(古い校舎なので)、マイクがないとか、細かい不都合があるもので、その手当を手伝いながら、ちょっとした充実感を得ていた。

 おかげで発表はまったく聞いていない。会場校のスタッフというのは、それでいいのかもしれない。二日目はもう少し発表を聞けるだろう。

 日本の学会大会の開き方というのは伝統である。つまり、持ち回りで会場校を決めて、その会場校のスタッフがすべてを準備するという方法だ。アメリカでAERA(アメリカの教育研究者の学会)の大会に参加したとき、大きなホテルを二つ借り切ってやるという方法にびっくりしたが、一方でこういうやり方もあるのだなあと思った。この場合は会場校というのはないし、会場校が負担するスタッフもいない。すべてホテル持ちだ。もちろんその分参加費は高くなるけれども、会場はホテルに任せきりで、参加者みんなが研究発表に専心できるというメリットは大きい。

 日本の学会開催方式も、開催校に負担がかかるとはいえ、費用の安さや会場の融通など良い点もある。なによりも、ホストとゲストという関係、つまり今度は私のところにお招きしましょう、という感覚が捨てがたいものだということは言えるかもしれない。