KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

子どもの言語

 妻の出産で、長女は妻の実家の魚津に預けてある。でも、預けっぱなしというわけにはいかないので、ときどき行って子どもの相手をするのだが、これが大変である。子どもというのは、相手をする大人のエネルギーを吸い取るものではないだろうか。幼稚園や保育園で働く人々を尊敬する。

 あとひとつきで2歳になるのだが、人を指図する言葉を覚えた(行動分析学でいう「マンド」ですね)。パカパカ(をやれ)、タカーイ(をやれ)、ブーブー(をやれ)、ブランブラン(をやれ)などである。そしてこれらはセットで記憶されているらしくて、一通り全部をやらないと気が済まないのである。

 それから「イヤ!」というのも覚えた。もちろん同意の「ハイ!」というのも覚えたのだが、回数を数えるとイヤの方が断然多い。イヤのバリエーションとして「イヤイヤイヤ」や「イヤダ」というのもある。正面切って「イヤダ」と言われると、子どもとはいえ、どきっとするものがある。一瞬でもこちらの動作が止まる。この効果が子どもの「イヤダ」発話行動を強化しているに違いない。こうして「イヤ」の回数が増えていく。

 助詞の「ト」と「ノ」を使いこなしている。たとえば「ばあちゃんト、じいちゃんト、ままト、ぱぱト、みーちゃんト(義姉)、あいちゃんト(自分)」という具合。また、ジュースを指して「(これは)ぱぱノ、(もうひとつは)あいちゃんノ」という具合。なんだかすごい。いや、親ばかじゃなくて、全世界の子どもたちにこういうことが起こっているということがね。こういうときにピンカーの『言語を生み出す本能』を読み返したくなる(読書と日々の記録(99/12/06)の紹介を見て思い出した)。

 何を怖がるかというのも面白い。以前は「ムシムシさんがくるよ」と言えばいうことを聞いていた。ムシムシさんが何の虫なんだかわからないんだけど、妙に効果があった。たとえば、歯を磨くときは、「ムシムシさん取っちゃおうね」と言えば、おとなしく磨かせてくれた。

 しかし、今は「ムシムシさん」は効き目がない。代わりに雷の「ゴロゴロ」である。夜、なかなか寝ないときは「ゴロゴロがくるよ」と言えば、おとなしくなってそのうちに寝付いていた。この季節は「雪おこし」と言って、雷に続いて雪が降り出すという現象が本当にあるので、効果的である。しかし、そのうちにゴロゴロも恐くなくなってしまうのだろう。