KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ネットにおける個人と所属組織

 Island Lifeの12/8の日記「ネット上での個人的発言と所属組織の関係」にこんなくだり:

昔、と言っても10年くらい前、日本ではインターネットにつながっていたのが大学や企業の研究所だけ だった頃、ネット上での発言に際しては、こんな暗黙の了解があった。 発言は実名と所属を明らかにする。発言の内容は個人としてのものであり、 所属する組織の見解を代表するものではない。(中略)

しかし、ネットが一般化してあらゆる人々が参加するようになった現在では、 読み手に対して何かの暗黙の了解を期待することは難しい。 所属組織を明らかにして情報を発信している場合、自分の発言が所属組織の何らかの 見解や体質を表現しているのではないかと想像する人も当然出て来る。また、所属組織が明らかにしていない戦略を、個人の発言から読み取ろうとする人が いても不思議ではない。

 よくニュースグループメーリングリストの投稿でも、「これは個人の見解であって、所属組織のそれではありません」とわざわざ断り書きを入れている人がいる。私はそれを目にするたびに、「そんなことは前提条件だと思うけど。用心深い人なんだな」などと思っていた。しかし、その断り書きをいれておくに越したことはないのかもしれない。

 となるとマズいのはこのサイトではないか。なんせ「toyama-u.ac.jp」ドメインからの発信である。大学の教員では、はせぴぃは日記にはジャストネットを使っているし、赤尾さんは「akao.to」の自分ドメインを使っている。マズいかも>私。(追記→)でも、冷静に調べたら「愚一記」も「大学往来」も「読書と日々の記録」も「こころの散歩道」も「ac.jp」ドメインであった。安心した。

 「国民の税金を使ってドラえもんの謎解きをしていていいのか、富山大学!」(しかも特大文字)などと指をさされて非難されたくないなあ(暫定日記さん(12/4)情報ありがとうございます)。今に「国民の税金を使って、Web日記を書いていていいのか、富山大学!」とか来るかも。いやん。

 「これは研究活動の一環なのです。サイバースペースにおけるWeb日記生態学。フィールドワークですな」などという苦しい理由付けを考えてみる。ああそうだ、Web日記学会もちゃんと活動しなくては。「ちゃんと学会もあるんですよ。Web日記学会という」いざというときにはこのセリフが効くかもしれない。

 まあ、大学というところは確かに組織だが、教員ひとりひとりは個人営業的なところがあるからあまり問題にならなかったのかもしれない。何も発信しなければ問題は起こらない。起きようがない。しかし、時代は逆に、積極的に情報を開示するように努めなさいという通達が来るほどになっている。追い風なのか、向かい風なのか。

 「ただの日記です」を前から愛読している私だが、なぜだろうと考えてみると、作者の個人としての意識と、属している組織を背負った作者の意識の絶妙なバランスが好きなんだということ。それは、書けば書くほど危なっかしくて、だからまるで綱渡りのようにスリリングで、時に妙な感動をさそう。それが好きなんだということ。