KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

冬のボーナス〜業績評価

 冬のボーナスが支給されたが、去年よりも10万円ほど下がった。これまで、給与もボーナスも単調増加、ずっと右上がりで来ていたので、不思議な感じ。不思議なだけならいいのだが、このボーナスで自動車の支払いをしようとしていたので、正直言って、かなり痛い。全然足りない。

 しかし、これからの時代、もう給料が下がることは不思議でも何でもなくなるのだろう。終身雇用もないし、業績給も当たり前になる。国立大学も独立行政法人になれば、研究・教育・行政の評価が行われて、それで給料が上がったり下がったりするようになるのだろう。

 そういえば、最近、論文の数や学会参加の回数などを聞くアンケート調査が回ってきた。これとは別に、研究業績の詳細は毎年調査がかかっている。これは専門の機関が全国的に行っていて、その成果は研究者データベースに登録される。しかし、今回のアンケートは学内の会計係が実施している。会計係というところで、いよいよ業績評価を給与に反映させるための下準備か、などと考えてしまう。

 業績評価には反対ではない。それどころか、適切な評価のないところに適切な努力は生まれない、と思っている。ポイントは、妥当性と信頼性のある評価がきちんとされているかということだ。外部に評価を委託するとしたら、その評価機関の仕事をきちんとチェックし、評価する機関を仕組みとして置かなくてはならないと思う(メタ評価機関と呼ぶべきか)。あるいは、評価機関を複数置いて、それらに競争させるという仕組みもいいだろう。要は、どこからもチェックされない機関を作らないことだ。すべての機関がどこからかチェックを受けているような構造が必要だ。

 業績評価の柱として、やはり研究論文の質と量を測ることははずせないだろう。ジャーナルの格付けも厳密なものになるだろう。Aジャーナルの論文1本は、Bジャーナルの論文2本分、などという換算も行われるだろう。そんなことはできないし、研究をバカにするものだ、と怒り出す人がいるけれども、バカにするものでも、不可能なことでもない。心理学はそうした尺度化の理論を実用化している。その意味で評価機関は心理学徒のよい就職先になるだろう(なってほしい)。

 ジャーナルの査読もより厳密になっていくだろう。なにしろ給与がかかっているのだから。査読で落とされて問題になることといえば、これまではポスドクの就職がかかっている場合などに限られてきたけれども、これからはすべての研究者が真剣に投稿先を選択して論文を投稿するようになる。査読者とのトラブルは増えて行くだろうから、それをきっかけに査読システムはより洗練された合理的なものになるだろう。

 悪いことばかりではない。今よりちょっとしんどくなるかもしれないけどね。