KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

自分の子供が自分に似ること

 ミリちゃんは元気に育っている。母親ももうすぐ退院。病院に行くと、ガラス越しに寝ているミリちゃんを見ることができる。しかし、いつも寝ていて、目を開けているところを見たことがない。今度の子も私に似ている、と妻は言うのだが、よくわからない。

 最初の子(アイちゃんと呼ぶ)は私に似ているらしい。自分ではよくわからないのだが、目が一重まぶたであるところは確かに私の遺伝だ。妻は二重だから。周りの人は、私にウリふたつだという。多分そうなのだろう。

 アイちゃんが、コトバをいろいろ話すようになり、とんだりはねたりできるようになるにしたがって、ますますかわいくなってきた。ただをこねたり、大泣きするところまでいとおしい。

 そうすると、自分に似ている子供をかわいいと思うことは、自分をかわいいと思うようなことではないか。確かに、子供と「チュー」をするときは、自分とキスをしているような(そんなことは不可能だが)そんな感情になることもある。変かな?

 私は自分のことがけっこう好きだ。自己愛が強いともいえる。自己嫌悪にさいなまれることもないではないが、すぐに忘れる。基本線は「自分が好き」タイプだろう。理論的には「自分が好き」タイプはどんどん自分が好きになっていくはずだ。なぜなら、「「「自分が好き」であるそんな自分が好き」であるそんな自分が好き……」ということで、どんどん「自分が好き」が増幅されていくからだ。

 逆に「自分が嫌い」タイプはどんどん自分が嫌いになる。これも理論上は、「「「自分が嫌い」であるそんな自分が嫌い」であるそんな自分が嫌い……」となっていくはずだから。こう考えると、「自分が好きなときも嫌いなときもある」という人は希有なバランス感覚の持ち主だということができる。そういう人は多分少数である。

 自分が嫌いな人は、その自分に似ている子供を好きにはなりにくいんじゃないだろうか。ふとそんなことを思った。