KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

お茶じゃなくてまず音楽

 エスプレッソダイアリイの2/3の日記から:

そういえば、ぼくは部屋に人が来たらお茶じゃなくて、音楽かけますね、とりあえず。

 という若者の言葉。うん、なんとなくわかる。自分の車に他人を乗せるとき、まずカーステレオでかける音楽の選択に気を使ったりするでしょ。その感覚。その延長上で、お茶を出すより先に音楽をかける。好きな音楽は自分の一部だと考えている。Web日記でも、「BGM」の曲を書いている人、けっこういるでしょ。同じ心理じゃないのかな。自分のWebページという個室に来てもらったわけだから、音楽も何か決めないとね。

 私も自分の研究室では、けっこう大きなボリュームで音楽をかけっぱなしにしている。スカパーのスターデジオで流し録りしてきたテープから好きな曲を選んでMDにコピーしたものをかけている。最近のお気に入りは、古内東子。いいね〜。涙が出てくる。それからテクノチャンネルで流しているいろんな曲をつないで1時間にしたもの。「Demode records present CUT UP!」と叫んでいるんだけどよくわからない。が、ノリがいい。それからバロックチャンネルからパーセルの曲など。……ってこう書いてみると選曲でたらめだな。

 研究室が個室で良かった、と思う。相部屋だったら、好き勝手に音楽をかけられない。もしそうなったら私はウォークマンとヘッドホンで音楽を聴いているだろう。それって変じゃないよね。集中するためにはその方がいいことがある。

 ゼミ生が研究室にやってくると、あわてて古内東子をストップする。音がでかすぎるので話ができないからだが、本当はちょっと恥ずかしかったりする。「あ、こういう音楽が好きなんだ」と思われるとね。もし好きな音楽が自分の一部だとすると、それを見せることは少し恥ずかしくてもおかしくはない。そうすると、若者たち(←じじくさ)が自分の好きな音楽を来客に聴かせるということは恥ずかしくはないのだろうか。ここらへんは「恥ずかしさ」の概念に世代による違いがありそうだ。