KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

まもなく2周年

 きょうこそは寝る前に更新。しかし、すでに午前1時を回っている……。

 手短に書こう。もうすぐこのWeb日記が2周年を迎えるということ。1998年の7月13日に練習としてこの日記を書き始め、20日に日記猿人に登録した。どちらを「多次元尺度」の誕生日とするべきか迷うところだが、7月13日の分からファイルが残っているので、こちらを誕生日とする。

 しかしまあ、よく書いたものだ。初めの頃は無理をしないで、毎日書くのがしんどければ、適当に休んでいた。特に、週末の土日は日記もきちんとお休みを取っていた。しかし、いつしか土日も日記を書くようになった。文字通り、毎日、日記を書くようになった。ごくまれに、日記を休むことはあるが、障害がなければ毎日書くようになった。

 「日記を書くようになって、何か変わったことがあるか?」と聞かれれば、「あまり大きな変化はない」と答えるだろう。日記の中では独断偏見をばらまいたり、あるときはいろいろな助けを求めているので、掲示板やメールで読者からアドバイスを受けるなどありがたい効果が大きい。しかし、それ以外ではあまり変化はない。

 それよりも、日常的には、睡眠時間が不足したり、日記を書くために他の大小の物事を犠牲にしてきたということが大きいだろう。それは「日記を書いている暇があるのならば、他にやることがあるでしょう」とか「いいよね。日記を書いている時間があるんだから」などのたぐいの言葉を投げかけられることで気がつく。やはりこの日記は何かの犠牲の上に成り立っている。しかし、その割には「きょうはまだ日記更新していないの?」などといわれて、暗に日記の更新を要求されているのではないかと感じることも多い。

 書けば書いたで、「いいよね。時間があって」とイヤミを言われ、書かなければ書かないで、「更新まだ?」である。なんとも複雑な気分である。

 きのう紹介した「24時間をどう使うか!」の中に、魚の獲れない漁師の逸話が出てくる。毎日漁に出て、一生懸命網を引くのだが、ちょっとしか魚が獲れない漁師の話だ。なぜ魚が獲れないのかというと、網に穴が空いているからだ。それを友人が指摘する。「おいおい、網に空いた穴を直さなければ魚は獲れないよ。分かるだろう?」と。漁師は答える。「いや、気がついているんだが、何せ忙しくて。毎日漁に出なければならないんだ。とても網を直している暇なんかないんだ」と。

 日記を書くことは、網を直すことに似ているかもしれない。