KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

教員の管理部門がない

 看護学校の集中講義が終わり、私にも夏休みが来る。夏休みとはいえ、毎日休むわけではなく、すでに企画の出ている本の原稿を書くことにあてられる予定。だから本当に休む夏休みは、お盆の前後に何日か取るだけになる。

 本の原稿以外にも、後期の授業の準備がある。秋に集中的に開かれる学会の準備もある。だから、大学教員の夏休みは意外に多忙である。しかし、授業がある期間はこうした仕事は、うまくできないので、夏休みにするしかない。

 その一方で、夏休みになると全く大学に出てこなくなる教員がけっこういる。やはりその分散は大きい。そのうち、こうした状況は許されなくなってくるだろう。大学教員はもっともっと働かされるようになるはず。

 自分でなければできないという仕事ではない役目が回ってきたときには、それを簡単に断ることにちゅうちょがない私である。そうでなければ、いくら時間があっても足りない。これは逆に言えば、自分でなければできないだろうという仕事を回されたときには、請け負ってしまうということだ。「自分でなければできない」仕事なんてのはそうそうあるものではないし、ある種のうぬぼれや錯覚だ。しかし、錯覚にしても、自分に合った仕事が回ってくれば、それは断れない。

 だから広報やFD(教員開発)の仕事が回ってくれば、受ける。しかし、これまでこの二つを全くやらなくても、なんとかなってきたわけで、そういう状況の中で、この必要性をどう学部教員に納得してもらうかがまず最初のハードルになる。あるいはその前に、教育サービスという概念が必要か。

 学部でFDをやっている人と話をした。たとえば授業評価をしたとして、それをどう教員にフィードバックするかが問題だ。よく考えると、今の国立大学には、教員をコントロールする管理部門がないんだよね。もちろん自分を自分がコントロールできるのが一番いいに決まっている。しかし、それができる人ばかりではないのが現実。そう考えると、組織として管理部門がないというのは致命的な欠陥であるような気がしてきた。