KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

記憶の不思議と思いこみ

東京の虎ノ門で会議があったのだが、道に迷って、焦る。道に迷うかな、と思っていれば地図なりなんなり用意して行くところだけれども、確実に知っているはずの場所なのに、行ってみるとそれがないというのはすごく焦るものだ。

新橋駅から虎ノ門方向に大通りを歩いていって、「升本」という濁り酒を飲ませる店がある通りを左に曲がり、一つ目の信号のところに目的の建物はある。はずだった。のだが、ない。こんな簡単な道、間違えようがないではないか。焦る。完全に知っていると思って行ったので、電話番号も控えていない。地図はもちろんもっていない。だってわかると思っていったのだから。

うろたえて、その周辺を探してみる。しかし、ない。時間はどんどんたって、余裕を持って着くはずが、もう遅刻の時刻になっている。まいった。

しかたがないので、左に曲がる前まで戻ってみる。確かにここだよな。だって「升本」があるんだもん。

ん、まてよ、ひょっとして。と思い、そこで左に曲がらずにずんずんとまっすぐ進む。そうすると、あ、もう一軒「升本」があったではないか。そうなのだ。さっきの升本は支店の升本であった。そこを左に入ってみると、ぶじ目的の建物が見つかった。やれやれ。

本当に思いこみというのは怖い。同じ名前の店が、同じように通りを入ったところにあったりするものだ。それは十分あり得ることなのだが、私たちは勝手に「この店は一軒しかないはず」と思いこんでいるのだ。

夜は、アドラーの東日本会の前夜祭(という飲み会)に参加する。と、絶対に会っていないはずなのに会ったことのあるような人がいて、不思議な感覚におそわれる。これも記憶の不思議。デジャヴ。