KogoLab Research & Review

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異議申し立ては無意味だったのか

asahi.comより。

異議認めず18人に懲戒処分 富山入試ミス

 富山大学人文学部の入試集計ミス隠ぺい問題で、同大は9日、臨時評議会を開き、18人の懲戒処分を正式に決めた。8人の教官が処分に異議を申し立てていたが、同大は認めなかった。隠ぺいを持ちかけたとされる元学生部長の能登谷久公・工学部教授(63)を懲戒免職とし、同意したとされる鈴木敏昭前人文学部長(53)を停職12カ月とするなど、当初の処分案通りになった。

 富山大は、7月16日に小沢浩学長(63)の減給(10分の1)6カ月を含む教官12人、事務官6人の懲戒処分を決めていた。これに対し、8人の教官は「処分が重すぎる」などとして、弁明を求める陳述の手続きをしたが、大学は「事実関係に誤りはない」として、処分内容の変更はしなかった。 小沢学長は改めて陳謝した上で、「被害にあった受験生の償いに全学で取り組んでいく」と述べた。(21:50)

18人全員の処分は当初発表とまったく変わらずに、正式なものとなった。とすれば、いったいこの間の異議申し立てはなんだったのだろうか。「事実関係に誤りはない」とはいっても、「事実に対して処分が不当である」というのが異議申し立ての趣旨なのだから、「事実関係に誤りはない」というのは、処分を変更しないという理由にはなり得ない。

ここでは、電算処理のミスと、隠蔽問題とを分けて考えている。隠蔽問題についてはそれ相応の重い処分が下されることが相当だと私は考えている。しかし、電算処理のミスにかかわった、一般の教員と一般の事務職員に対して、はたして懲戒処分が適当かどうかということなのだ。

ミスは起こる。誰もミスをしたくてするわけじゃない。しかも、ミスは複合的な要因で起こる。だれが直接の原因とも特定できない。そのときに、たまたまかかわった教員と事務員を全員懲戒にすることで、何が解決されるのか。

もう一つ明らかになったこと。大学は裁判所ではないということだ。人を公平に裁く能力があるのかどうか疑わしい。異議申し立てによっても何一つ変わらなかったこと。裁きの内容に疑義があっても、その機関とメンバーそのものを弾劾する機能がないこと。つまり不完全なシステムだということが明らかになった。そういうものに裁かれるのは、裁かれる人にとって悔しいことなのではないか。

大学の自治という名の下に裁かれた人には、もはや道はなくなった。残されているのは、大学の外で「裁判」を起こすことだけだ。しかし、それはおそらく誰もしないだろう。つまり、黙って処分を受け入れるしかないということだ。

こう考える私はおかしいのだろうか。

◇追記:処分に不服がある場合は、人事院に審査を請求するという道が残されているそうだ。