KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

エコマネー

PCカンファレンスのシンポジウムでは、エコマネー提唱者の加藤敏春さんをパネリストの一人としてお迎えした。

エコマネーという運動について初めて聞いた。非常に興味深かった。

エコマネーとは「地域通貨」という形態のひとつだ。通常我々が使っている「お金」とは独立したもので、換算も交換もできない。あるコミュニティの中で、お互いに助けたり助けられたりすることを促進するために使われる。コミュニティのメンバーは最初に、たとえば、5000エコマネーを持つ。たとえば、ベビーシッターを1時間やると、1000エコマネーを受け取る。自分が、誰かに助けてもらいたいときは、1000エコマネーを払う、というように使う。

ポイントは、エコマネーのやりとりに、感謝の気持ちを乗せる、ということだ。このことによって、コミュニティの形成を促進しようとする。つまり、コミュニティメンバーであることを、エコマネーのやりとりで明示化しているということだろう。

面白いのは、半年や一年たつと、エコマネー残高がリセットされるということだ。つまり、エコマネーを貯めて何かをするというようなことができないようになっている。ここが貯蓄できる貨幣との大きな違いだ。そうすると、エコマネーを「ただ乗り」する人が出てくるのではないかという疑問がわく。しかし、5000エコマネーだと、5時間分のベビーシッターにしかならないわけで、半年に5000エコマネーではたぶん不足する(仕事の種類・量がどれくらいのエコマネーに相当するかはコミュニティが決める)。だから、自分も進んで何かをしなければ、エコマネーを得られないわけだ。このように、エコマネーはひたすら流通することを目的としている。流通することによって、コミュニティ内の結束を固くしようとしている。

そして、これがひとつの運動として広まっていって欲しい、と加藤さんは考えているようだ。壮大なスケールだ。

たとえば、心理学の実験の被験者になると、被験者をやったという証明書が発行されて、それは、心理学の授業の成績の足しになるというようなシステムをとったことがある。これは心理学関係コミュニティのエコマネーと呼べるだろう。

日本各地ですでに行われているエコマネーの運動は、思想的なものを慎重に排除している。それを入れると、逆説的だが、コミュニティは作れないからだ。思想的なものの代わりに、エコマネーという比較的中立な人工物を導入したわけだ。

はたしてそれがうまく働いていくのか。興味深い。