KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

はやりのeLearning

東京に来ている。教育システム情報学会の理事会・評議会に出席するためだ。

最近、この学会の会長が変わり、そのご指名により評議員になった。自己紹介では、「会長にご指名されて、これを断ると何が起こるかわかりませんので、受けさせていただきました」と挨拶して、ウケを取る。こんなところでウケを狙って、どうするというのか。

初めての会議で、勝手が分からないから聞いているだけだ。しかし、聞いているだけでけっこう面白くて、メモなんか取ったりしていた。何が面白いかというと、これからの研究動向が読みとれることだ。

この学会は、企業の人たちがたくさん入っていて、実用・応用に力が入れられている。だから、たとえば、eLearningの動向と将来について詳しい人たちの話を聞くことができる。そこでいったい何が問題になっているかということが、けっこう読みとれたりするわけだ。今の焦点は「eLearningにおける標準化」ということらしい。

とはいえ、心理屋としては、標準化そのものについてはあまり関心がない。そこでの標準化というのは作り手を中心とした見方だからだ。心理屋は、むしろそうした標準化から漏れているもの、抜け落ちているものがあるとすればそれは何かということを、ユーザ中心に見ていこうとする。「学習」ということが問題となっている限り、最終的に「学習者に何が起こったか」ということを抜きにしては意味がない。

eLearningはこれからのキーワードだ。それは、これまでの「コンピュータ支援による教育=CAI」、「マルチメディア教育」、「遠隔教育」、「インターネット教育」といったすべてのものを包含する勢いだ。しかし、だからこそ、なんでもeLearningとラベルを付ければ最新のものに変身させられると錯覚する。実は、eLearningと呼ばれるものには何ら新しい原理や理論はない。すべてこれまでの蓄積に、はやりのラベルをつけただけのものだ。そこを見誤ってはいけない。つまり、これは商品名に近いものだということ。そこに注意が必要だ。そうした上で、本当に新しい原理を発見していくこと。