KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

柳沢賢一郎『コンピュータはそんなにエライのか』

コンピュータはそんなにエライのか (新書y (011))

コンピュータはそんなにエライのか (新書y (011))

これに対してインターネットは、「受動的な発信」をするための道具である。……これは、「思考の結果」としての結論を、たとえば本や新聞やテレビといったメディアで発信するのとは異なり、「思考のプロセス」そのものをネット上で展開しているからである。……これが「受動的な発信」の意味である。当然のことながら、発信した内容に何の責任も発生しない。だから、インターネットはメディア・コンテンツではない。いわば電話と同じメディア・ビークルなのである。p.72

ところが、ITに日頃接していてもストレスを生じない場合がある。ストレスを生じさせない「生き方」である。/その一つが「皮相的な生」を生きる方法である。たとえば、インターネットの顕著な利用パターンに、「自己の存在表示」と「テーマの共有」がある。/前者は、自分のホームページに日記や趣味などを掲載することにより、消極的な発信を行なう場合である。他人が読んでくれてもよいし、読んでくれなくてもよい。ただ自分が存在していることを表示することだけに意味があるような発信である。p.217

(コメント)消極的な・受動的な発信と、そうでない発信とは明確に分離できるものではなくて、連続しているような気がするのだが。