KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

掲示板の物語文法

明日から名古屋に出張する。過年度で終了した科研費なのだが、報告書をまとめるためにまだ会合をしているのだ。その意味では非常に良心的で、勤勉で、熱心な研究グループだといえる。優れたとはいえなくても、それなりの厚みのあるアウトプットを出そうという姿勢が見られる。しかし、その分、時間も食うし、疲れる。もしアウトプットがよいものになれば、それは倍になって報われる。

そろそろ今年度の科研費採択が知らされているようだ。ようだというのは、私自身は今年度は申請しなかったから。2年間の大学教授法についての研究は一区切りつけて、成果をまとめる時期に来ていたので、次に何をテーマにしようかということが考えられなかった。アイデアとしてはあるのだが、それを研究計画にまでまとめられなかった。そんなわけで今回は一回休みを決め込んだ。

そうやってみると、心の平穏を得ることができることに気がつく。私には、「こんなどでかいことがやりたいので予算をいただきたい」というのが性に合わないのだろうな。それに対して「そんなことを言うのは、予算が自由にとれるようになってからにしろよな」というのが掲示板的物言いなのかもしれないが、そういう物言いが完璧に的外れなことだってあるんだよ。つまりそういう価値観から完璧に降りているのだね、きっと。

ついでだが、掲示板というのには、それこそ雑多で多種多様な意見が集まるような気がするけれども、そんなでもない。多様に見える意見が、実は見事に一次元的であることが多い(ような気がする)。掲示板でのやりとりも、徐々に様式化してきている。それはそれで完成の域に近づいているのかもしれないけれども。

掲示板の(協同的)物語文法を探すとおもしろいと思う。きっとそれは循環的なものだ。フラクタルのようにいろいろなレベルで渦を巻いている。だから見ていて飽きることがないのだろう。